畑中政昭公式webサイト

色んなお料理を美味しく食べれないのが、問題だと思います。

ネットで見つけたニュースです。

URLはコチラから(http://www.narinari.com/Nd/20120117222.html)

最近は“食育”という言葉が広く使われるようになったが、自分自身の健康を意識するためにも、幼い頃から食事の重要性を知るのは大切なこと。それをあまり意識しなかったがために医師から命の危険を指摘される、17歳の少女が英国にいるという。彼女は2歳のとき、母親に連れて行ってもらったマクドナルドでチキンナゲットを食べ、その瞬間からナゲットの虜になった。以来15年間、ほとんどチキンナゲットしか口にしなかった彼女は、ついに先日栄養不足による貧血で倒れ、ようやく自分の問題に気が付いたそうだ。

英紙サンやデイリーメールなどによると、この少女はバーミンガムにある工場で働く、17歳のステイシー・アーバインさん。「私の主食は毎日チキンナゲット」と言い切る彼女は2歳でナゲットと出会い、「ほかの食べ物を口にする気が起きなくなった」。野菜や果物はほとんど口にせず、マクドナルドやケンタッキー・フライドチキン、スーパーで買ったナゲットを食べ続ける彼女に、母イボンさんは何とかほかの物を食べさせようと努力はしたが、全く状況を改善できず、数年前にはその努力も諦めてしまった。

ところが先日、彼女はそんな食生活の代償を身をもって知ることになる。突然貧血を起こし呼吸困難となったステイシーさんは、すぐに病院へ搬送。そこで検査を受けた結果、彼女の貧血は極度の栄養不足が原因と分かり、さらに舌の静脈が炎症を起こして腫れていた。幸い、ビタミンや栄養剤の投与で今回は回復したそうだが、彼女の食生活に驚いた医師は「こんな状態を続けていたら死ぬぞ」とハッキリ言い渡したという。

17歳にして娘が命の危険性を指摘されたとあって、イボンさんの心配は募るばかり。病院から戻った後はさすがにナゲット以外の物を彼女に食べさせようとしたが、口にしたのは朝食のトーストとポテトチップスくらいで、やはり「ほかの物は食べられない」と拒絶されてしまった。そんな娘の変わらぬ意志に「途方に暮れている」というイボンさんは今、専門家にしっかり診てもらおうと考え、彼女の説得に当たっているそうだ。

ただ、今回の病院搬送で、ステイシーさん自身の気持ちにも少しは変化が出てきた様子。今の食生活が「私にとって本当に良くないことだとはわかってきた」と話し、改善へのきっかけを探そうとの気持ちが芽生えてきているようだ。

自分が「おいしい」と思う物を食べるのは、誰にとっても幸せなこと。しかし、体が健康であるからこそ初めて「おいしい」と感じられるわけで、健康の基本となる食事に気を付けるのは、幸せな生活を営む上でとても重要だ。ステイシーさんも「2人ともきちんと食べる」という5歳の弟と3歳の妹を見習って、少しずつでも必要な栄養を食べ物から摂取できるように頑張ってもらいたいものだ。

 

彼女と話し合ったわけではありませんが、こういった偏食の問題の根本は「美味しいと感じれる食材が極端に少ない」ところにあると思います。

脂肪分の多いマヨネーズや味の濃いしょう油や砂糖、これらをあまり使わず、素材本来の美味しさを楽しめることができた子どもは、色々な食材を美味しく味わえる傾向にあります。これは、好き嫌いという概念ではなく、美味しいと味わえる食材が幅広く増えるのでしょう。

つまり、この逆だと美味しいと思える食材は少なくなります。ということは、「不味い」と感じる食材ばかりが増え、偏食になってしまう傾向にあります。

だから、小さいときから、インスタントラーメンや調味料漬けのオカズを食べさせるより、出汁をとった料理であったり、甘く美味しい野菜などを食べさせる必要があるのだと思います。

 

ただ、こんなことを言っている私ですが、中学生のときには、友人とファーストフードの店に行くのが楽しみでしたし、お金のない大学生時代は、そのほとんどがインスタントラーメンでした。

 

なにも100%無農薬だとか、オーガニックだとか、○○産だけに拘るだとかは、徹底する必要性もないと思います。あくまで、現実の生活に即して、できることをやっていこうと、自分自身には言い聞かせています。

 

私が、イチバン拘りたいのは、自分の子どもが大きくなった時に、色んな料理を美味しく食べて欲しいということです。美味しく食べれるのは、やっぱり幸せですから。

 

しかし、今は、あまりにも歪な食生活を送っている子どもたちが多いです。保護者が悪い、加工業者が悪いとかいう問題ではなく、消費者が少しでも関心を持てば、少しずつニーズが変わり、美味しい味を堪能できるような社会環境になっていれば、それはやっぱり、素敵な食生活です。

 

このニュースを見て、決して他人ごとではないと感じました。