じゃぱんさみっと」さんで「地方政治の現状と、今後のあるべき姿について」というテーマでお話をしてきました。

 

以下、講演の主な内容です。

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

みなさん、居酒屋に何を求めますか?オツマミが美味しい、焼酎の種類が多い、気の合う友達と飲みあえる環境。それぞれ、求めるものは違えど、明確なニーズというものがあります。

同時に、国政に何を求めますか?社会保障、少子高齢化、国会議員のコンプライアンス、マニフェストを守ること。色んな媒介を通して、情報が入ってくるので、漠然でも求めるものというものがあると思います。

では、地方政治に何を求めますか?こう聞かれると、頭の中にクエッスチョンが出てくると思います。

それだけ、地方政治に関心がないということであり、それだけ地方政治が何を担っているのか、ということが発信されていないということの顕れです。

でも、選挙権はあります。市議や市長に、一票を投じる価値を持っています。求めるものがないのに、候補者を選べますか?それで納得のいく地方政治ができていなかったら、それは当然に齎されるべき結果ではないのでしょうか?

 

私が、地方議員として日頃、肌身に沁みて感じるのは、有権者と地方議員の問題意識の剥離です。

議員の候補者は「こんな町にします!」と主張し、有権者は「その考えに賛成!」ということで、投票するわけです、原則は。でも、互いの問題意識に大きな違いがあるのに、その関係性を築くことができるのでしょうか?

そういった問題意識の格差を利用し、「市民受けのいい政策を唱えれば選挙は勝つ」と思っている地方議員候補者は、意外に多く、意外な人物が往々にして、そう思っているかもしれません。

市民も騙されるわけにはいきません。しかし、日本の政治の現状を見ると、騙されているようにも見えます。名古屋市長なんかは、その衆愚政治のおかげで市長の座に座っている典型ではないでしょうか。そんなことが見え隠れするから、市民も政治に愛想を尽かすようになります。

日本の政治不信を覆っている要因は、この悪循環により膨れ上がった不信のスパイラルだと、私は思っています。

 

でも、仕方がない事なのかもしれません。今まで、地方政治は、地方政治が何を担い、地方政治の何を市民に発信するべきなのか、という事を何もしてきませんでした。

地方政治に何を求めるか?という問いに対しすぐさま応えることのできないということから、今の有権者は、地方政治に関しては、国政以上に無教養なのです。

有権者は、遠い国会で行われている情報には近くて、近い地方議会で行われている情報には遠いというギャップのなかにいます。

しかし、今まではそれで良かったのです。日本の社会のルール(法律等)のほとんどが、遠い国会で議論され、ほとんどがテレビの向こう側の世界で決定されてきたのですから。そこには現場感覚など無くても、実際の市民の声など無くても良かったのです。

全ては、国が決め、地方はそのルールに従って業務を粛々とこなしていれば、地方政治は成立していたのです。

 

でも、もうそんな時代では無くなりました。夕張市が財政破綻した後は、市民に対し大きな影響を与えました。ゴミなど手数料の大幅な増、福祉の切り捨て、職員の削減、未整備インフラの放置などなど。「行政サービスの極端な低下と大幅な増税(料金含む)」という責任を、市民が被らなければならなくなったのです。だって、夕張の議員と市長を選び続けたのは、夕張市民なんですから。

そして、その波は加速度的にやってきます。

それが地方分権です。

 

ネガティブな話でしたけれど、私は地方分権には大いに賛成です。

現場の事は現場で決める。市民の要望は、そのまちで完結できる。こんな地方政治を、私は実現しなければならないと思っています。

ただし、その責任は、職員や市長はもちろん、議員にだって、そして市民にも、もっと明確にやってきます。

だから、私は注意を促すのです。

地方政治に何を求めますか?という問いに対する答えを少しでも考えて下さい。それが的外れでも、コスト意識を考えてなくても、皆さんの近くの地方議員さんに聞いてみてください。そこでの地方議員との問答こそ、皆さんが地方政治を知る最大のきっかけになるんです。

 

皆さんが「世の中こう変わるべきだ」と、身近にいる地方議員に投げかけても、今の政治のシステム上、地方議員のできることはたかがしれてます。そんな狭い仕事の領域しか与えられていないのです。

それを拡大し、市民の要望を実現するカタチに持っていく社会に移行していくことが、私の理想とする地方分権です。

そして、皆さんが地方政治に関心をもち、郷土愛と誇りを持っていただくことが日本を再興する最大のキーポイントだと思います。

 

※地方分権の内容については下記資料参照

1003レジメ 

※これは簡単な原稿です。実際の講演内容とは若干の違いがありますので。

コメント & トラックバック

地方分権はさ、大小色んな問題が含まれるから、慎重に進めて欲しいと思う反面、慎重になんて言ってて辿り着くのか?とも思う。

阿久根といい、名古屋といい、大阪もやけど、ああいうのを見てると、地方分権がもたらす影響がどう働くか、不安になるのも事実やけどね。
でもまぁ、痛みのないところに革新は起きへんからね。
国が地方が人が、どこまで痛みに堪えられるかが、ネックになってくるんやろうね。

>谷口さん
コメント有難うございます。
仰るように、ドラスティックな改革が求められているとも思います。

事の是非は置いといて、木戸孝允や西郷隆盛は、自分たちのお殿様に痛みを伴う改革をしました。それが廃藩置県。おそらく相当な反発があったはず。それでも、近代の日本を支える礎となったのは確か。

改革は必ず功罪となるものが発生するけれど、未来を見据えた視点から考えていかないといけない。

「今の痛み」だけを考えすぎているから、近視眼的な政治と批判されているのであって。
どこまで見据えることができるのか分からないけれど、時間軸である縦軸・社会、世界である横軸を基点とした俯瞰して物事を思考できるよう常に心がけています。

返信ありがとう。

1つだけ不安なのは、伴う痛みが想像出来なくて、なおかつ結果も見えない。
今の国民に信じる心を求めるのは、もはやイジメのレベルだよ。

痛みに堪えきれず死んじゃうよ、このままじゃ。

大袈裟に書いたけど、ぜひ未来を見せて下さい。
応援します。

>谷口さん
おそらく「伴う痛み」がどんなものか誰も想像できないと思います。
それを最低限に抑え、かつ、未来に向かって歩みを進めるというのが改革を行ううえでの基本的なスタンスだろうけれど、あまりにも部分最適になってもいけません。
今の国民に妄信する心を求めるのは、従来の政治のやり方だけど、メディアを見抜く「信じる力」を養ってもらうのは、当然求められるべきものであると思います。
宜しくお願いします。

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