車の免許証をとった時に、
父親から「ところで自動車ってどうやって動いてるか分かってるんか?」と尋ねられ、
当然「知らん」と答えると、驚いていました。

後になって分かったのが、父親世代って、車が途中でなんらかの故障が起きやすくて、みんなで直したり、手入れしたりする青春時代を過ごしていたんですよね。

でも、今は、技術が発達して、故障を直すどころか、バッテリーがあがっても自分で復帰させる術も知らない。
それどころか、バッテリーが何故あがるのかという理由すら知らない方も多いのではないでしょうか。

いろんなものが発展して、いろんなものが当たり前になってきて、そのうえでさらに発展していくのが「文明」の側面なんでしょう。

でも、失われていくものがあるんですよね。

それは「想像力」だと思っています。

昔は辞書を引いて調べたり、調べる道程で寄り道して違う知識をインプットしたり、前に調べていたものと関連付けさせたりしていませんでしたか?

でも、今はググったら「インプット」はされるわけですよね。
もしくは、Wikipediaに書いてあります。
残るかどうかは置いといて。

車の修理、辞書を引く。
手間をかけて得た情報は、身内になります。

身内になった情報は、知識や体験として、自分の引き出しに整理され、必要な時に活用されるようになります。

そしてそれは、ある時、想像という作業をする時に、とても役立つようになります。

今は特に、コロナワクチンを接種する作業導線を考えていますが、工場やレストランでアルバイトしていたときの、作業導線をシミュレーションしていた体験が、想像力を後押ししてくれています。

利便性や合理性を外した勉強や体験が、人間の想像力を強くするんだとわたしは考えています。

もちろん、「不便」だけではいけないわけで。

コロナウイルスで、「IT政策」で乗り切ろうとする動きが活発ですが、それだけでは人類は進化しないと考えていました。
デジタル技術に依存した社会が出来上がってしまうので。

デジタル技術の進歩は止められませんし、止める必要もありません。

でも、一方で、自ら感じ取る体験が教育上、必要だと考えています。

自然との触れ合い、農作業、大工作業、他人とのコミュニケーションなど。

デジタル化が進めば進むほど、必要になってくるとわたしは思います。

友人から紹介された記事で、より強くそう思いました。

https://courrier.jp/news/archives/198677/?ate_cookie=1588470474

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