時代は大転換期。

国際社会においては、米国の覇権は、中国を含む東洋の国々の台頭により、その揺らぎが明らかになっています。

そして、私たち地方自治に携わる者が注目しなければならないのは「なにが力となり得るのか」であります。

誤解を招かないように言うと、この場で言う力とは、権力や武力などのネガティブな面で捉えられるものではありません。

ジェレミー・ハイマンズなどによる「NEW POWER」の冒頭では、「イギリスの哲学者バートランド・ラッセルの定義によれば、パワーとは『意図した効果を生み出す能力』のことだ」と、正負の面にとらわれないリアルな力の定義が示されています。

同著には、様々な力を行使する術が変化していると記されています。

例えば、オープンイノベーションの有用性を見ても「少数の人が握るもの」から「多数の人が生み出すもの」へと力の使い方が移行しつつあり、また、ビジネスの世界では「昔ながらのセールストーク」から「誰にも分かりやすいストーリーテリング」を使いこなせる方がチャンスを掴めることが多いと思います。

これを地方自治に置き換えると、トップダウンからボトムアップへ、ワンマンから全員経営へ、多数決での決定から多様性を汲み入れるプロセスへ…など、当然とされていた価値が逆転しつつあります。

断っておくと、「古きが悪い」と言いたいわけではありません。ただ、これからの時代において、上述の「パワー」を行使する術を間違えると「意図した効果」が期待されなくなりつつあるという現実を認識しなければならないと考えるわけです。

そのような観点を忘れずに問題提起したいのが高石市役所の組織風土は、極めて「今までの時代に必要とされていた力(=オールドパワー)」に支えられています。

市民からの意見は「素人で、クレーマーの発信」と思い込んでいる、情報開示するとリスクしかないと信じ込んでいる、規則を守る(守らせる)ことで順調にことが運ぶと盲信しているなど、例を挙げると枚挙に遑がないが、およそニューパワーを使いこなす層の逆位相に位置していると言っても過言ではないはずです。

余談ですが、市役所の職員は議員のブログを愛読してくれているようです。
賞賛的な内容を書くとお礼を言われ、批判的なことを書くと一定の理解は示されますが、弁明されることもしばしば。
決してそれがいけないことではないのですが、Twitterなどで批判に晒されたり、炎上してしまうリスクを背負っている我々議員からすれば、ネットでの批評は日常茶飯事。
むしろ、自分の考えと他人の考えを止揚させるチャンスでもあります。
行政職員は、ネットでの批評に知覚過敏になり過ぎているのが実情です。
ここまで知覚過敏になっている理由は「我々の仕事ぶりのネガティブな部分を、自分たちとは違う受け取り方で否定しないでほしい」という本音があるからだと私は思っています。

それこそがオールドパワーに支えられていると言える一つ。

しつこいようですが、オールドパワーが良くないと言うわけではなく、また、ニューパワが良いと言うわけではありません。ニューパワーにもリスクがあります。

私がここで主張したいのは、「意図した効果」を生み出すのに、どの力を行使していくのか、ということです。

しかし、今の高石市役所は、そんな新しい力の存在に否定的であると言わざるを得ません。
他市での先進的な取り組みを紹介すると、そのほとんどが「高石市では厳しい」というレスが返ってきます。
自分たちの仕事ぶりをゼロベースで見直す勇気がないので、取り組みの本質を掴めないのです。
それから何年か経ってから「あの取り組みが必要だと思えてきました」という始末。

 

さて、時代は大転換期です。

これからの20年は、過去の200年に匹敵するぐらいの変化が起こると言われています。

「今までの小さな成功体験」に束縛されていては、ニューパワーを使いこなすどころか、業務に綻びが生じ、大きな問題に発展していくでしょう。

私は、選挙において意識改革を訴えました。

意識を変えることは並大抵のことではありませんが、湖に一石を投じて波紋を広げるがごとく、公務問わずに、言霊をぶつけてまいります。

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