急に暖かくなり、桜が見事に花を咲かせてくれています。

今年はゆっくり桜を見たいので、昨日は、昼から大学時代の友人と大阪城公園へ行ってきました。

 

どこかしらの大学がサークル活動で花見をしているのを遠い目で見て「昔はあんなんやったなぁ」と思い出しながら、楽しんでいました。すっかりオッチャン、オバチャンです。

どんな友人と会っていても必ず話題に挙がるのは「政治のお話」。私の仕事柄もあるのでしょうが、個人的には色々な意見が聞けるので、非常に有難いことです。

 

例えば、こんなお話。

「高石は待機児童もゼロで、小中学校も耐震化できてるらしいやん。高石に住みたいわぁ。」

しかし、高石市民は、

「高石は子育てに力を全然入れていない、どんどん人口が減っていっているのはそのせいだ。」

というご意見も同時にあります。

 

この意見はどちらも正しいので是非で判断するのではなく、市内に住んでいる住民と市外に住んでいる住民の両方の視点からの意見だと受容しなければなりません。

おそらく、前者の住んでいる市も、高石市からみれば羨望の眼差しで見えているのかもしれません。

 

私が申し上げたいのは、

「自分のまちを誇りに思うこと」と「他市の価値を認め、学ぶこと」をバランス良く見なければならないということです。これは市議としてではなく、市民に向かって、つまり皆さんに向けての私の思いです。

 

いま、どちらかというと、隣の市の羨ましい部分だけが目立って、自分のまちの誇れる部分が感じられなくなってしまっていると感じます。

それは、地域単位でも、国単位でも。

 

その原因は、政治腐敗や先行き不透明な国の行く末など、例を挙げればきりがありませんが、忘れてはならない原因のひとつには「住民の自分のまちに対する思いの希薄化」もあります。

 

「そんなこと言ったって、市が一体どんな状態か分からないし、日々の生活でまちの情報を得ようとする余裕なんてない」と言われそうですが、それも一理あるんですね。

だから、私はもっと若者が容易に情報を摂取できるようツイッターやフェイスブックなどを活用し、市役所や公民館に行かなくても、また、自動更新などで自ら積極的に情報を得ようとしなくても、身近にまちの情報が把握できるようにしたいんです。

 

少し余談になりましたが、自分のまちを誇り・・・というと大げさかもしれませんが、もっと好きになってもらい、「他所のあそこが羨ましいから高石にも取り入れて」という単純な動機ではなく、「高石が好きだからこそ、ここは他所の取り組みを入れて欲しい」という動機に変えていくことで、市民の声も強くなるし、何より、市民一人一人に当事者意識が芽生えます。

 

私の考える政策や主張は、高石市民がそうなってもらえるように集約されます。

制度設計やサービス拡充も大切ですが、そんな市民意識を少しずつ変えていくことももっともっと必要だと思うのです。

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