娘が生まれて、妻は産後の休養のため実家に帰っていました。私は、4年間の市政報告のポスティングで市内を自転車で走り回っていたので、揺れに全く気付きませんでした。4時ごろに娘の顔を見に、休憩がてらに妻の実家に行くと、「東北が大変なことになってる!」と妻がテレビを観ながら、私に言いました。「マグニチュード8」「東北地方全域に大地震」というテロップを観て、大変驚くとともに、「大阪への影響は?」と考えていました。そんな的外れな想像をしている私を余所に、テレビの向こう側では、人の営みと命を奪った津波が猛威を振るっていました。

 

あの極めて凄惨な災厄から1年が経ちました。被災していない私たちは、無力ゆえのジレンマを抱きながらも「それでも私ができること」を模索しながら、支援を続けています。高石市議会でも義捐金を送り、高石市も他市と連携し救援物資を送りました。関西広域連合はカウンターパート方式により効率的な支援をし、ボランティアなどの人的支援においても現在でも必要とされています。知合いの市議は、いち早く被災地の人たちが仕事できるように自分のまちの漁協に頼み込み、漁船を送りました。

 

様々な立場で様々な支援があったからこそ、道や田畑を覆っていたガレキは撤去され、復旧への道のりは遅まきながらも進んでいます。しかし、原発問題、がれき処理、二重ローン、仮設住宅、復興財源、被災者雇用、不明者の捜索、メンタルケア、止まない余震、経済復興・・・。まだまだ多くの問題を抱えています。

 

この未曾有の大災害を教訓として活かすために、高石市はもちろんのこと全国の自治体が減災へと繋がる政策を展開しております。私も現地に入って、実際にどういった体制が課題になったのか、残酷と思いながらも教訓を活かすために現場の市議さんや職員さんとヒアリングをしてきました。「少しでも高石市にフィードバックできるように。」ちっぽけな自分ができることは、それぐらいしかない、と自分に言い聞かせていたのかもしれません。

 

それでも、未来のために、葛藤を抱えながらも高石というまちの市議として果たしていくべき役割を全うしたい。災害対策は目先のことのみではなく長期的な視点で考える必要があります。たとえ今は理解できなくとも、あの時におこなっていた備えが今こうして役に立っていると思ってもらえるように、このまちの為に、この国の為に、使命を果たしていきます。

 

あの極めて凄惨な災厄から1年が経ちました。今日は、その誓いを新たに強く自分に植え付ける日です。

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