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徳治、礼治、法治

ネット上で話題になっているニュース

道路に出たボール避けバイク転倒、蹴った少年側に賠償命令

 愛媛県今治市で2004年2月、オートバイに乗っていた80歳代の男性が、小学校の校庭から飛んできたサッカーボールを避けようとして転倒、この際のけがが原因で死亡したとして、大阪府内の遺族ら5人が、ボールを蹴った当時小学5年の少年(19)と両親に計約5000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、大阪地裁であった。 田中敦裁判長は「蹴り方次第でボールが道路に飛び出すことを予見できた」と少年の過失を認定、両親に計約1500万円の支払いを命じた。 判決によると、少年は校庭のサッカーゴールに向けてボールを蹴って遊んでいた際、ボールが門扉を越え、道路に転がり出た。その際、通りかかったオートバイの男性が転び、足の骨折などで入院。男性は翌年7月、肺炎のため87歳で死亡した。

 原告側は07年2月に提訴。被告側は訴訟で、〈1〉校庭でのこの程度の遊びは許され、少年に過失はない〈2〉事故と男性の死亡に関連性がない――などと主張した。

 判決で田中裁判長は、少年の過失を認定した上で、当時の年齢から「自分の行為でどのような法的責任が生じるかを認識していなかった」として、両親に賠償責任があるとした。

 さらに、田中裁判長は、「男性は事故で長期間の入院を強いられ、生活環境が激変し、死亡の原因になった」と事故と死亡の関連性を認定。賠償額は、男性に持病があったことなどを考慮し、請求より減額した。

2011年6月28日  読売新聞)

 まずもって、亡くなられた方にお悔やみ申し上げます。

 ニュースを見るだけでは、意外性のある判決にも見えます。裁判の経緯や判決文を読むと、色々ないきさつがあったようです。

 しかし、このようなリスクを考えれば、お年寄りの方の免許保持問題などにも関わってくるでしょう。ましてや、小学生が校庭でボール一つ蹴るにもここまでのことを想定して先生が指導しなければならない時代というのも、どこか寂しいものです。

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 孔子が提唱した徳治というものがあります。読んで字の如く、「仁や義、徳をもって世の中が治まる」という国家の理想像を唱えたものです。

 そして、徳治でも治めることのできない場合は、礼治で治めるよう努めるべきであるとのことです。礼治というのは、礼によって社会秩序を守り、統治するという考えです。礼とは、礼儀作法や人間の道義的な規範であり、日本では、恥の文化や道徳のことを指すと言われています。

 そして、徳治も礼治もかなわない社会においては、他に治める術がないので、法によって国民を統治する法治という治め方になります。法で人を縛ることには限界があって、徳治とはいかないまでも、礼治で治めるべきだという儒家の教えもあります。

 こういった政治哲学を考えながら、上のニュースを見ると、法治国家の限界を感じます。

 法律を守ることは大切なことですが、ときには法律の枠組みを越えて、人間としての道徳を貫くことが必要なケースだってあります。杉原千畝のように。

 政治家は公人です。法律や条例というルールに縛られながら、少しでも社会を是正する動きをし、かつ、法律や条例というものが絶対的ではないものと捉え、住民が求めているものは何なのかを追求しなければいけない仕事です。

 その判断基準は人によって、違いがありますが、私は、ときには理屈抜きに理想を語ることだって必要だと思います。

 そして、それは、自分が美しさを見出したときであると思います。

 過去の日本人の礼儀作法やおもてなし、古代中国の思想、お互い挨拶をすることだって、「美しい所作」です。

 その社会の美しさを守るために、ときには法を越えた、哲学をもたなければなりません。

 よって、いかなる理論・経緯があろうと、上のニュースは美しくない。