大阪北部地震による既存不適格のブロック塀倒壊事件を受けて、高石市は地震発生後の翌日から市内公共施設のブロック塀調査作業を進めています。
個人的なことをいえば、長女と同世代の児童が犠牲になってしまったことに、胸が締め付けられるような気持ちでいっぱいです。
課せられたミッションは、議会閉会中とはいえ、今まで培ったネットワークによる知見を行政に伝達し、地域で同じような事故を未然に防ぐことに他なりません。
ようやく本日、作業完了の報告が届きました。
大阪北部地震による既存不適格のブロック塀倒壊事件を受けて、高石市は地震発生後の翌日から市内公共施設のブロック塀調査作業を進めています。
個人的なことをいえば、長女と同世代の児童が犠牲になってしまったことに、胸が締め付けられるような気持ちでいっぱいです。
課せられたミッションは、議会閉会中とはいえ、今まで培ったネットワークによる知見を行政に伝達し、地域で同じような事故を未然に防ぐことに他なりません。
ようやく本日、作業完了の報告が届きました。
わたしは、わたしが不自由なく生きてこれたことに、育ててくれた家族はもちろん、そんな社会を築いてくれた先輩方に感謝をしています。
今までの社会の足跡が、自然に情報として入る政治家であれば、なおさらです。
しかし、いま、日本の未来を描こうとするとき、言いようのない焦りと危機感にとらわれます。
出口の見えない異次元金融緩和や雇用の悪化による格差の拡大、医療不安や年金問題、介護保険の制度疲労など、かつて日本が誇ったセーフティーネットは破たんして、生活の安心は失われつつあります。
さらに、世界でも類を見ないほどのスピードで進む労働人口の減少。
健幸ポイントとは、運動をすることによってスマホのアプリや歩数計でポイントをためて、商品券やギフト券などに使える「運動をおこなうきっかけ」をもってもらうために平成26年度よりスタートした制度です。
上述したように、この制度の狙いは「運動習慣があまりない方」がウォーキングしたり、運動事業に参加することで、「運動習慣をつけてもらうこと」です。
なので、「日ごろから運動習慣がある方」が健幸ポイントを付与され続けると、それは有効な使われ方とはいえないわけです。
佐藤一斎の「言志四録」には、現世の人物だけに評価されるような人物よりも、時代を経て評価されるような古今第一等の人物とならんことが記されています。
それに比べるとスケールが小さいですが、前にも書いた「水道料金の将来負担」について、今日質問してきました。
いま、大阪市を除く府内の自治体は「広域水道企業団」に水道事業を統合していく途上にあります。
市町村でやっている水道事業は、大阪府から水を仕入れて、ご家庭に買ってもらっています。
そして、その水道事業は当然、「経営」なので市町村ごとに会計処理しています。
今回、確認したかったのは「統合」するからといって、水道料金で溜まった内部留保を値下げに散財したり、そもそも負債の抱える団体への対応などであって、議案そのものへの異論はありませんでした。
(関係自治体の方、誤解のないようお願いしますw)
以前のチラシにも掲載したトピックですが、水道事業の経営は、人口減少社会に伴い非常に硬直化していきます。
人口が減るということは「水道料金を支払うお客様が減る」ということなので収入は減少。
老朽化した水道管も更新していかねばならないので支出は増加。
将来的に「入が減りて、出が増える」事実が待っているわけです。
しかし、現在の水道会計は黒字。
黒字ということは「水道料金を多く徴収している」ことになります。
だから「料金を値下げすべき」という論が成立します。
さて、ここで意見が分かれるわけです。
「黒字だから料金を値下げすべき」「将来的に値上げするんだから据え置くべき」という両論です。
みなさんは、どう考えますか?
私は将来世代にツケを回さないという政治信条からも、後者の考え方です。
水道料金は値下げすると、何年後かに値上げされるシミュレーションが出されています。
これには、節水努力をしている市民への還元や統合後の経費削減などが理由として考えられるため、グラフだけではその内情は読み取れませんし、あくまでシミュレーションです。しかし、一般的には、値下げをすれば、将来の値上げの「幅が大きくなるか」「タイミングが早くなるか」のどちらかを選択しなければなりません。
繰り返しますが、これは両論とも大義が成り立つので意見が分かれやすいものと考えます。
ちなみに、高石市の水道料金は20㎥をベースに考えると、府下20位、真ん中ですね。
水道料金の支払いで困窮させる世帯を作ってはいけませんが、同時に、敬虔な値下げは将来世代にツケを回すことになります。
将来の高石市民が「あのときの大人は自分たちのことしか考えてなかった」と言われないような政策決定をすべきと考えています。
遅くなりましたが、去る5月25日の臨時議会において、市議会議長を退任し、古賀秀敏議員に議長職を託しました。
議会を代表する立場という意味合いもあり、公務による拘束時間が想像以上に多く、自分自身の自由な議員活動を制限しなければ務めきれない1年間でした。
とはいえ、やってみなければ分からないことも多く、今となっては大変勉強になった1年間でした。
これからはいち議員として、3期目の最終年に向かって頑張りたいと思います。
とりあえずは、「議長の時に質問できなかったあれやこれや」を整理し、議会での審議に臨みます。
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