若手議員の凋落
「若者は選挙に勝ちやすい」「政治家は民間企業より就業倍率が低い」
この本を読んで、そんなイメージを抱きました。
だからか。
最近の立候補する若手議員の質が下がってきているのは。
たしかに少し前までは若者が政治に挑戦し、かつ、当選することは難しかった時代でした。当時の議会は、旧態依然とした議論を繰り返し、党利党略に塗れ、子どもにツケを回してでも私腹を肥やし、有名無実のお歴々がたくさん蔓延っていた時代もあったでしょう。
そんな政治を変えて欲しいと願う有権者も、その多くは組織に取り込まれ、
政治は変わりにくいもの、
政治は見えないものと、
有権者も感じるようになっていました。
しかし、変革の旗手という者は、いかなる時代も現れるものであって、
15~20年前から20代、30代前半の若手候補者が地方でトップ当選するようになり、政治を志すことを諦めていた若者も、政治を志そうとする若者も、挑戦する勇気を与えてもらい、日本中の津々浦々で、「若手議員の台頭」が目立つようになりました。
時代の流れとは速いものです。
今では、タイトル通り「若手議員の凋落」(凋落という表現はあまり適切ではありませんが)の時代へと移行してきているように、私は強く感じるのです。
今がたまたま「そう」なのかも知れませんが、今後この流れは将来の日本にとって非常に危うい傾向にあると感じてしまうのです。
そんななか、「地方議員は就職率がいい」「内定がもらえなければ、地方議員を目指そう!」とも読み取れるメッセージが世間を席巻していて。
そんなノリで成ってはいけない仕事なのに、そんなノリで成れるような仕事と思われて。
有権者はもちろんのこと、若手議員の一人として、そんな「ノリ」で立候補されたらたまったもんじゃありません。
以前、政治家を志しているという若者とあって話をしました。
私「どこで立候補されるのですか?」
A「○○県の■■市です。」
私「そこは、(悪い意味での)保守的なまちで若者が政治家になるのは非常に厳しいまちですよ。」
A「はい、分かってます。情熱を訴えて頑張ろうと思います。」
私「戦略は?」
A「若者らしく、熱い思いをぶつけるのみです!」
私「・・・。そのまちの財政状況はご存知ですか?」
A「なってから勉強します!」
私「じゃあ、止めといた方がいいですね。私は少なくても立候補する前に2年勉強しました。それでも当選させてもらってからは即戦力にはなり得ませんでした。私たちは未熟でも完熟でも当選した瞬間から税金で報酬が支払われます。じっくり4年間勉強されて、経験を積んで、出馬した方が良いと思いますよ。」
A「・・・。」
この時は、彼のことを思い、もっと厳しめに申し上げたのですが、納得させることができず、この4カ月後の選挙で彼は最下位で落選しました。
今では、捲土重来を果たすべく、地に足つけて頑張ってくれています。
きっと、このブログを見てくれているでしょう。
「私は応援し続けていますよ、お互い頑張ろう。悪い例で挙げてしまったけど、許してね。次は必ず等身大の勝利を掴め!」
■ ■ ■ ■ ■ ■
話を戻しますが、軽ノリで出馬をすることは、有権者に対しても、現職議員に対しても、侮辱をしている行為だと私は認識しています。
・落選してしまうと、その方に投じた民意が議会へ持っていけない。
・当選しても、(ある程度の知識がないと)何ヶ月間~何年間かは役に立たない。
そんな若手議員候補者が年々増えてきていることに、憤りと不安を感じるのです。
だから、私はこの4年間、「人づくり」をテーマに付け加えます。
今までは、インターン生を受け入れてきましたが、相当厳しく指導します。
(ここのNPOがだしてる本が上の本なのだが・・・。)
しかし、学生には関係のナイ事。将来の日本を創る一員になるという自覚を植え付け、社会人でも、政治家でも、主婦でも、自営業者でも、一角の人物を創り出すことをしていかなければ、この国の若者は益々ダメになる。
「人材づくりをもっとやっていこう!それが先に当選させてもらった私たちの責務」
こんなことを、昨日、昼飯食べながら、南出議員と熱く話していました。
私一人では無力。でも、今まで作ってきた、たくさんの仲間と共に、大きなうねりとなるように。
「事は一人から起こるが、一人では進まない。」