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インターン生と高石のブランディングについて何度も何度も練り直しを繰り返しています。

 

彼らは学生です。社会人としてはド素人です。

彼らは高石に住んでません。高石の地勢や内情など少しも知りません。

 

だから。

そこから生まれるものがあると、私は思ってます。

 

ブランド戦略やら、イメージ戦略なるものは、内に暮らしているものでは、既出のアイデアしか出てこないでしょうし、斬新で突破力のある思考は不可能だと思います。

高石生まれ、高石育ちの私は、生粋の高石っ子です。

そんな私が、高石のブランドを創っても、それは、どこかの地域ブランドの二番煎じになってしまう可能性があるし。

 

何しろ、高石の外に住んでいる人が、高石とはどういう町なのかを、イメージして価値を感じてもらうことを創造するわけですから、その創り手は「ヨソモノ」であるべきだと思ってます。

そして、若者特有の余計な先入観に捉われないアイデアが、閉塞感を打ち破るモノへと昇華するのだと思ってます。

 

だから、畑中と学生の役割分担が、高石のブランドを創り上げていくものだと思ってます。

 

今、取り組んでいるアイデアで、高石のブランドになり得るかどうかは分かりません。

でも、誰かが挑戦しなければなりません。

高石が特色のある、魅力のあるまちにするには、地域ブランディングは欠かせない要素だと、私は思ってます。

だから、思考錯誤しながらでも、失敗しても、進め続けたいのです。

ただいま決算委員会で白熱した議論が展開されています。

この決算委員会が終わると、実質、9月議会における議案審議は終わります。のこすところ一般質問のみといった形になります。

 

私は、監査委員なので決算委員会では発言できず・・・(涙

 

こんな時は、他の委員さんの質問を聞くか、膨大な資料の読み込み作業に没頭するか、次の質問を考えるか、などして委員会に臨んでいます。

 

■ ■ ■ ■ ■

こんなニュースを発見。

 

遅刻49回で処分の県職員、慰謝料など求め提訴

約3か月の間に遅刻を49回繰り返したとして、昨年8月、群馬県から減給10%(1か月)の懲戒処分を受けた東部県民局の男性職員(38)が、処分の取り消しや慰謝料140万円などを求める訴訟を前橋地裁に起こしていたことが13日、わかった。 提訴は8月16日付。

 訴状によると、男性職員は、懲戒処分で9万円以上が減給となったとし、延べ4時間強の欠勤(遅刻)に対する処分としては相当でなく、違法で無効などと指摘している。

(2011年9月14日11時33分  読売新聞)

 

 

公務員は、いくらスト権がないといっても、民間企業に較べ、労働基準法の遵守性によって自分たちの待遇が護られています。

 

法律上に、分限免職(民間企業でいう解雇)があるといっても、基準の設定が困難であるし、組合がなかなかそれをさせない傾向にあります。

 

そんな素地があるからこそ、こんな愚か者が後を絶たないのです。

 

私は、短絡的な公務員批判論者ではありません。

議員の立場からみて、本当に頑張っている職員もいるし、早く辞めればいいのにと思える職員もいます。

 

本当に頑張っている職員は、「高石市を良くする」という同じ旗の下の同志だと、私は頼もしく思っています。

一方で、仕事の責任を放棄し、自分たちの待遇改善などの組合活動ばかりに執心し、意識を変えようとしない、問題を先送りし、他に求める職員は、淘汰されるべきとも思っています。

 

高石市は、公の施設(事業)の民営化、給与8%カットなどで、労働組合が激怒されておられますが、その激怒以前に「自分たちも変わらなきゃ」という意識の変革、市民の為に仕事をさせてもらっているという当然の使命感を持って欲しいと思います。

現時点では、感じることができませんので。

 

この状態がひどくなれば、上のニュースのような破廉恥な出来事が、本当に高石で起きてしまうかもしれませんし、何より、高石の為に害悪な存在です。

 

私は、そうならないような制度設計と情報発信を続けなければならないと思っています。

 

そして。

 

職員と市民と議会の問題意識は、ほとんど同じなんです。

生活保護者が年金よりも少ないという問題。待機児童を発生させないという課題。窓口対応をもっと愛想よくしようと思っている志向。国民健康保険料が高いから何とか健全化しようという責務。

 

そんな課題解決に真剣に向かっている職員こそプロフェッショナルであり、高石にとって無くてはならない不可欠な存在なんです。

 

そんなプロの職員に、ちょっとした勉強しかしていない議員が指摘や要望をするという行為そのものは、職員にとって時間のムダであるわけだし、何よりも失礼な行為だと、自分に言い聞かせています。

 

だから。

 

私の仕事とは、いたずらに重箱の隅をつつく指摘でもなければ、思いついただけの政策提案であってはいけないのです。

 

どう提案すれば、その課題は解決されるのだろうか。

どう指摘すれば、その滞留している問題は前進するのだろうか。

 

その向こう側にある市民の幸福をかなえるための、議員でしかできないことを果たしていくことが、今の自分にできることなんです。

 

そのために、他市の議員や経営者の方々とネットワークを作り、異業種交流会などに参加することで、俯瞰した視点を養うことにチカラを入れています。

 

前期とは少し違った方向性で仕事をしています。

 

それが最近、たまらなく楽しいのです。

まだまだ暑い日が続きます。

先日は、交野市の友人の市議選のお手伝いに行ってきましたが、こんな暑い日に選挙とは・・・。夏嫌い冬好きの私にとっては、想像を絶する労苦があるのでしょう。

 

爽秋とはいきませんが、少しでも早く新涼の風が吹いてくれることを祈ってます。

 

■ ■ ■ ■ ■ 

 

議案を初見できるのは、議会開会の1週間前の議案が発送された時点なんです。

そこから1週間で、職員とヒアリングし、課題抽出し、論点整理をし、市民の声を聴いて、理論集約し、粗い原稿を作成し、いざ質問に臨むというのは、徹夜してでも現実的に時間制約上、不可能な作業です。

 

だから、大切なのは、議会開会中以外に「アンテナを張る」ことなんです。

 

市民の声を聴取することに、経営者の感覚を学ぶために、他市の課題解決や先進事例に。自分の関心が及ばない事にでも、アンテナを張り続けることで、多角的な課題が浮き彫りにされていきます。

 

そして、その時点で妄想をします。(少し変な表現ですが・・・)

どんな質問内容になるか、です。

車の中や、寝る前や、お風呂の中や、ランニング中にでも。

 

ざっと、整理すると、こんな感じです。

 

現場調査:課題探し(アンテナを張る作業)市民との会話、異業種交流会、他市の議員との勉強会、職員とのヒアリング

課題のフィルタリング:妥当性の確認(その課題がエゴでないかどうかetc

俯瞰的視点による選別、背景の調査

将来予測:実現性の確認(課題解決できるかどうか)

法的根拠、道程にある障害の存在の把握

粗削りの質問作成:論点整理(妄想し始める)

レギュラー決定:たくさんある課題の優先順位を決めていく(レギュラーは質問される、補欠は次の機会)

自分の関心や市民の声の重さなどにより決定されていく

議案発送

 

ということを議会閉会から次の議会開会までに組み立てをしています。

 

例えば。

9月議会の目玉の一つ、5次財政健全化計画案

この計画に対しての質問を作る作業は終わっているので、計画案が出されて、23日で質問する内容が決まっていきます。

それが、コレ。

 

※全文はコチラ→第五次財政健全化計画案

もちろん、このエクセル全てがレギュラーにはなれません。

委員会のなかで、他の委員さん(議員さん)と重複をしないように、またどうしても申し上げなければならない内容を抽出し、委員会に臨みます。

 

その作業を実現するためには、議会がない時間を、いかに費やすか。

そのことこそが、あらゆる層の市民の声を行政に届ける最良の手段であると考えています。

 

■ ■ ■ ■ ■ 

 

ところで、このホームページのアクセス件数と、お便りの数が、前回の選挙前(あるいは選挙中)よりも上回り続けています。

「選挙前しか政治家は活動しない。」という市民の声を受け止め、選挙前以外の活動を大事にしたいと思っている私にとっては、大変有難いことです。

これは、市民の政治による関心が高まっていることだけでなく、選挙後も継続していることによるものです。

有難うございます。深謝致します。

臨時議会を招集されました。

 

以前は、高石市は臨時議会を開かずに、専決処分という議会を開かないで物事を決めてしまうコトを(乱発とはいわないまでも)割と多く行使していました。

議会から指摘が入り、専決処分は年間数件に減り、その代わり、臨時議会の招集が多くなりました。

これは、非常に善いコトです。

 

  ■ ■ ■

 

さて、臨時議会の内容ですが、

主に、高石幼稚園の廃止条例保育所民営化に関連する補正予算の二点です。

 

結論からいうと、両者とも総論賛成です。

 

むしろ、幼稚園の統廃合はもう少し早くにして欲しかったという思いはあります。

4歳児(年中さん)・5歳児(年長さん)ともに1クラスしか児童数がいない状態で、クラス分けもできないのに、まともな幼児教育ができるわけがありません。

1問題というのは、ここにも端を発しています。

なぜ、これだけ少ないかは、主に3歳児から入園できないからと言われています。

では、3歳児(年少さん)をやればいいのでは、と主張される議員さんもいますが、これは余りにも経営感覚を無視した論であります。

先生を1人公務員として雇用するわけですから、かなりの経費が必要になります。

 

少子化で、ニーズが幼稚園→保育所に移行しているなか、いつまでも昔のままで残せるという考えは、早くに改めねばなりません。

そのスピード感と将来的展望が、今の高石市に圧倒的に足りないところです。

 

気になるのは、廃止の方法です。

児童に発生する影響の少ないように、実行しなければなりません。

注視して、確認作業に入ってまいります。

 

そして、保育所。

私は、「保育所は民営化すべし。」という基本スタンスです。

ただ、高石市が掲げるべき公立保育所の役割、法人の選考、引き継ぎ期間の確保など、留意するべき箇所はたくさんあります。

こういう民営化問題になると、どこかの組織が「子どもの為に!」という美名のもと、自分たちの職域を守る反対運動を興されます。

そんな、政争やしがらみや保身に塗れた根拠ではなく、賛成ロジックも反対ロジックも、本当に子どもたちの事をニュートラルに考えている人たちの声を聞いて、どちらでも構わないので、考えて、選択して欲しいと思います。

 

  ■ ■ ■

 

また、子どもたちのことになると、「お金の問題ではない!」と主張されますが、それは間違いです。

お金がなければ、何もできません。

福祉を度外視した採算性や利潤追求がダメなのは、言うまでもありません。

一方で、無い袖は振れないという現実もあります。

 

今まで、そんな聖域を固持し続けてきたから、今日の財政難があるんです。

 

「お金の問題ではない!」と言われ、「その通りだ!」と頷く政治家の見据える先は、自分の選挙です。そして、もたらされる未来は、今のお金のない高石市です。

「お金の問題ではない!」と言われ、「いや、ちょっと考えてください。」と対話する政治家の見据える先は、高石の未来です。そして、もたらされる未来は、今よりもお金のある高石市です。

 

私は、後者であり続けます。

それが、政治と住民を身近にするための一歩だと信じてるから。

82日に高石市立幼稚園再編等検討委員会から「市立幼稚園の再編」という方針がだされました。

 

内容は、今まで1小学校区1幼稚園(市内7か所)を基本としていたのが、1中学校区1幼稚園を基本とした再編になるとのこと。市立5園→3園に

具体的に、高南中学校区における再編は高石幼稚園が対象に。高石中学校区における再編は、総合評価の低い幼稚園を廃園にするとのことです。

 

「廃園」となると感情的には淋しい気もしますが、幼稚園児が極端に少なくなってきていることや施設の老朽化、高石の財政規模を考えると、幼稚園や施設の統廃合は避けられないものです。

 

何よりも、このまま放漫財政を続けると、未来の子どもに負担を回すことになるのは言うまでもありません。そこには「お年寄り」も「子ども」も、聖域というものは存在せず、未来の子どもたちに負担を回さないように、「今」を適正なカタチに是正していかなければなりません。

 

今まで議会からも幼稚園の統廃合を求める声は上がっており、個人的には「やっとでてきた。」という感は否めません。一定のスピード感を高石市に望みます。

 

懸念するのは、廃園による移行についてですが、しっかりとヒアリングをしていきながら、求めるものは求めてまいります。

 

また、継続的に更新してまいります。

今夏もインターン生を受け入れています。

3名の大学生で真面目に活動してくれています。

 

昨日は、ポスティングをしてくれました。

 

そして、昨日はかなりの炎暑日となりました。

 

かなりキツイようでした。

 

私がインターン生に与えるプログラムは政策研究や施設見学など、様々あるわけですが、このポスティングは「業」としてやってもらっています。

 

予想以上にハードだからです。

 

 

しかし、

私たちが当たり前に使用している道路だって建物だって、暑い日に働いてくれている現場の人がいるから、施設を使えるんです。

私たちが当たり前に見過ごしている警備や剪定のボランティアの人がいるから、景観が保たれているんです。

 

社会とはそういうものです。

 

想像をしてみると、有難いことが分かりますが、

想像をしてみないと、当たり前に看過してしまいます。

 

学生には、身をもって、それを肌で感じて欲しいという思いから、この「業」をやってもらっています。

 

今の若者は・・・とよく言われますが、

それ以前に、「誰かのおかげ」で生活できているということを感じながら、

社会人になって、日本を創っていって欲しいのです。

 

■ ■ ■ ■ ■

 

さて、今から林塾で東京に向かいます。

 

全国の若手の議員が東京に集まり、講義を受け、お互い切磋琢磨し合う場です。

 

切磋琢磨とは、言葉だけではなく、本当に斬りあい、高めあい、それぞれが地域に帰っていきます。

 

そんなことを毎月やっております。

 

政治家として、人間として、私の躯を型作るものとなっています。

往々にして、市議が綴っているブログを視てくれている人は、おそらく半分以上が職員さんなんです。

 

 「こんな考えなんやな」「余計な事言いやがって」と、視ていただいている職員さんの感想はバラバラでしょうが、こういう機会を活かして職員さんへのメッセージも含んで、私はブログを更新しています。

 

 ですので、今回は、直接職員さんに対してメッセージ。

 

 以前に、高石の営業力を上げて欲しいと要望しました。広報・宣伝力を高めて、高石市民と高石市外へと向けて発信するべきだと。

 

 高石市民には、情報公開のディスクロージャー性を高めて、

 高石市外には、高石の自慢できる魅力や政策を発信することが、

 広報というものが、これから見据えていくべき目標です。

 

そんなことを以前に提案していたところ、高石の広報に新たな変化がありました。

 

「高石フォトブログ」というものができたそうです。

 

 これが、私の提案していたところと符合するかどうかは、これからの成り行きですが、どうやら段階的な第一歩に成り得る可能性はあると思います。

 

 今後は、カテゴリーを多くして、部課長ブログなどで職員の仕事を市民に分かってもらう試みもいいし、市外への情報発信ツールにも活用できるし、用途の発展は様々です。

 

 いずれにしても、多くの市民にアクセスしてもらう仕掛けづくりをしていきましょう。

 

 市の封筒にQR貼るのもいいし、facebookページやtwitterなどで発信するのもいいし、ここから工夫のしどころだと思います。

 

 また改めて、私も、考えて、提案させてもらいますので。

今日の夕焼け。

 

 

 

 

夏は苦手ですが、夕焼けと朝焼けが美しいのが何よりの救い。

 

どこか儚げで、どこか逞しくて、

 

どこかで花火大会が催されてそうで。

 

宿題を済ますことができなくて、花火大会に行くことを禁じられた子ども時代を思い出します。

 

■ ■ ■ ■ ■ ■

 

行政は、現金の未収未出の整理を行うために出納整理期間(4月1日~5月31日)が設けられています。ですので、行政の決算は、この後に行われます。

民間からすれば羨ましい話かも知れませんが、税・保険料の徴収や多岐にわたる契約など、行政がすべき役割から生じる決算期間なのです。

 

 

ともあれ、この決算の後、監査に付されます。

 

私は、今年、監査を預かっておりますので、この時期、非常に忙しくさせてもらっています。

 

 

先週も今週も来週も、この決算の監査です。

 

そして、一緒に監査をさせてもらう方は、公認会計士の方です。

 

議会から1人、一般から1人、選ばれて監査をするワケですが、この一般から選ばれる監査人を代表監査といいます。

この代表監査という職には、職員OBが就きやすい傾向にあるのですが、本市は公認会計士の方に就いてもらっています。

 

傍で、監査をさせてもらっていますが、かなり有難いことです。

 

そのノウハウやスキル、事務・財務をチェックするのに、これだけプロフェッショナルな方はそうそうお目にかかることはないぐらい、感心する毎日です。

たった議員経験5年の私の経験では追いつきようもありません。

 

 

さて、本題。

 

人間って、こんな時こそ、試されているような気がします。

 

サッカー経験ゼロの私が、フットサルに混ぜてもらう時に、経験者と同じプレーができないんだから、「そんな自分でも何ができるか」を見出すことを考えるんです。

議員経験ゼロだった私が初当選時、ベテラン議員さんより経緯もノウハウもないんだから、「そんな自分に必要とされていることは何なのか」を初心に戻って思考するんです。

 

今回もそう。

 

そんなプロの方と同じ思考、同じ視点、同じスキルを憧れて、追いつこうとする努力そのものが徒労に終わるので、

一定の民意を預かっている私に何ができるのかと考えれば、

それは市民の目線から見て、そして大所高所から見て、行政に集約された市民のマインドを突き付けることだと思ったんです。

 

法律論や会計論も大切ですが、既存の制度に従事されたチェックも大切ですが、

そもそも市民が何を望んでおり、その願望が実現するには、どのような方法が適当か、

現実性と必要性をもって指摘しなければなりません。

 

それが、議会代表の監査委員の当面の理念なのかな、と自分に言い聞かせ励んでいる毎日です。

 

即戦力にならないからといって、「いずれか成長します!」というのは余りにアマチュア。

今、自分にしかできないことを考え、実行する。

 

自立をしたうえで、他を信頼し、使命を全うする。

 

それが、役割分担。

 

 

花火大会に行けなくて、そんな事情を知らずに誘いに来た友達。

そんな友達に悪いからといって、仕方がなく、「行っておいで」と許可をおろす母親。

それも、友達との役割分担。

高槻の事業者 療養費不正

広域連合など調査

 高槻市のマッサージ事業者が、施術回数を水増しするなどして、75歳以上の後期高齢者医療保険の療養費を、府後期高齢者広域連合(大阪市)に不正請求していたことがわかった。高槻市にも国民健康保険の療養費を不正請求していた疑いがある。同連合と市が調査を進めている。

 同連合によると、利用者に発行された領収書と、同連合への請求書を照合した結果、施術回数に食い違いがあることが判明。事業者は「不適切な申請だった」と認めたという。同連合は不審点がある2009年5月~2010年11月に支払った全額約1700万円を返還させ、改めて請求するよう求める。一方、市は「調査している段階」としている。

読売新聞 朝刊より引用

  

昨年の9月1日から整骨院・接骨院の領収書発行の義務化と、申請書の統一化(施術日の記載等)が法改正によって実現され、不正な請求を堰き止める動きが進んでいます。

 

しかし、まだまだ氷山の一角。

 

国民健康保険が負担額が高くなり続ける要因は、診療所のサロン化よりも、こういった悪徳な医者・整骨院・接骨院・薬局の不正な請求が最大の要因です。

 ジェネリック医薬品の啓発やはしご受診を控えるように、行政が訴えるのも必要ですが、根本解決には至りません。

 そのためには、機能的に悪徳な事業者を摘発できる法改正(もしくは地方分権)が何より必要。

まじめに保険料を払い続ける人、少しでも医療費を下げようと努力されている患者さん、まともに請求をされる事業者さん。

 

こんな人たちの小さな努力が無駄にならないような社会を作っていかなければなりません。

 正直者がバカを見ないような社会を。

ネット上で話題になっているニュース

道路に出たボール避けバイク転倒、蹴った少年側に賠償命令

 愛媛県今治市で2004年2月、オートバイに乗っていた80歳代の男性が、小学校の校庭から飛んできたサッカーボールを避けようとして転倒、この際のけがが原因で死亡したとして、大阪府内の遺族ら5人が、ボールを蹴った当時小学5年の少年(19)と両親に計約5000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、大阪地裁であった。 田中敦裁判長は「蹴り方次第でボールが道路に飛び出すことを予見できた」と少年の過失を認定、両親に計約1500万円の支払いを命じた。 判決によると、少年は校庭のサッカーゴールに向けてボールを蹴って遊んでいた際、ボールが門扉を越え、道路に転がり出た。その際、通りかかったオートバイの男性が転び、足の骨折などで入院。男性は翌年7月、肺炎のため87歳で死亡した。

 原告側は07年2月に提訴。被告側は訴訟で、〈1〉校庭でのこの程度の遊びは許され、少年に過失はない〈2〉事故と男性の死亡に関連性がない――などと主張した。

 判決で田中裁判長は、少年の過失を認定した上で、当時の年齢から「自分の行為でどのような法的責任が生じるかを認識していなかった」として、両親に賠償責任があるとした。

 さらに、田中裁判長は、「男性は事故で長期間の入院を強いられ、生活環境が激変し、死亡の原因になった」と事故と死亡の関連性を認定。賠償額は、男性に持病があったことなどを考慮し、請求より減額した。

2011年6月28日  読売新聞)

 まずもって、亡くなられた方にお悔やみ申し上げます。

 ニュースを見るだけでは、意外性のある判決にも見えます。裁判の経緯や判決文を読むと、色々ないきさつがあったようです。

 しかし、このようなリスクを考えれば、お年寄りの方の免許保持問題などにも関わってくるでしょう。ましてや、小学生が校庭でボール一つ蹴るにもここまでのことを想定して先生が指導しなければならない時代というのも、どこか寂しいものです。

■ ■ ■ ■

 孔子が提唱した徳治というものがあります。読んで字の如く、「仁や義、徳をもって世の中が治まる」という国家の理想像を唱えたものです。

 そして、徳治でも治めることのできない場合は、礼治で治めるよう努めるべきであるとのことです。礼治というのは、礼によって社会秩序を守り、統治するという考えです。礼とは、礼儀作法や人間の道義的な規範であり、日本では、恥の文化や道徳のことを指すと言われています。

 そして、徳治も礼治もかなわない社会においては、他に治める術がないので、法によって国民を統治する法治という治め方になります。法で人を縛ることには限界があって、徳治とはいかないまでも、礼治で治めるべきだという儒家の教えもあります。

 こういった政治哲学を考えながら、上のニュースを見ると、法治国家の限界を感じます。

 法律を守ることは大切なことですが、ときには法律の枠組みを越えて、人間としての道徳を貫くことが必要なケースだってあります。杉原千畝のように。

 政治家は公人です。法律や条例というルールに縛られながら、少しでも社会を是正する動きをし、かつ、法律や条例というものが絶対的ではないものと捉え、住民が求めているものは何なのかを追求しなければいけない仕事です。

 その判断基準は人によって、違いがありますが、私は、ときには理屈抜きに理想を語ることだって必要だと思います。

 そして、それは、自分が美しさを見出したときであると思います。

 過去の日本人の礼儀作法やおもてなし、古代中国の思想、お互い挨拶をすることだって、「美しい所作」です。

 その社会の美しさを守るために、ときには法を越えた、哲学をもたなければなりません。

 よって、いかなる理論・経緯があろうと、上のニュースは美しくない。

 

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