» 2011 » 10月
秋は行政視察シーズンです。9月議会も終わり、12月議会までに、赴く側も、受け入れる側も、この秋の季節を機に、研修・視察のスケジュールを組みます。
私は、総務文教委員会に入っておりますので、今年は、福岡県で産業振興@飯塚市と小中一貫教育@八女市の現場研修を積んできました。
高石市に当てはめてみると、
産業振興:企業立地促進条例(企業が設備投資したら償却資産を減税する条例)が今年で更新を迎えております。企業側からは、他市と比べて埋没するような条例ではなく、ドラスティックに差別化した条例を作って欲しいという要望があります。
そういった背景も踏まえて、産業振興での先進都市である飯塚市に行ってきました。 |
小中一貫教育:これは産業振興とは違い、リアルタイムで俎上に載っている話題ではありませんが、高石市の教育力を向上させるためには、是非とも必要な政策であると考えます。
これは、八女市の上陽北汭(ホクゼイ)学園に行ってきました。 |
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1日目は、産業振興@飯塚市
「e-zukaトライバレー構想」と銘打った飯塚市の産業振興は、旧産炭地からの脱却といった背景があり、市内にある大学と連携し、情報関連産業の集積化、既存産業の活性化、他地域との差別化・明確化を目指しているまちです。
なかでも企業立地促進補助金という高石の企業立地促進条例のパワーアップ版ともいえる補助金を整備されており、これは大変勉強になりました。
ただ、私が、かねてより案じているのですが、自治体が企業誘致を積極的にすればするほど、自治体間同士で価格競争が発生し、ゴールのない過当優遇合戦になってしまう可能性もあります。
そうならないよう「オカネ」だけではない企業誘致というものを創意工夫で生み出していかなければなりません。公が欲しいと思うモノと企業が欲しいと思うモノは、違います。
だからこそ、win-winの関係を模索していくべきなのです。飯塚市も同じ課題を共有しておられ、現在も思索中だということです。
高石市も、今より積極的に企業との信頼関係構築に向けて行動していくべきなのですが、それを担う経済課は、商工業・消費者・漁業・農業・労働と仕事の範囲が多岐にわたっており、現在配置されている人員では困難な様子が窺い知れます。
ですので、経済に特化した「経済戦略課の創設」を要望していますが、機構改革の実現はまだ動き出してもいない状態です。
臨海工場地帯のある高石市にとって、この経済戦略は何が何でも必要な分野であると思っています。飯塚市の例にも倣い、しっかりとフィードバックしてまいります。
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2日目は、小中一貫教育@八女市でした。
八女市にある上陽北汭学園にお邪魔したのですが、最初に驚いたのは学校がキレイであること。かつ、その掃除は生徒がしているということ。
自分たちが使うモノは、自分たちで掃除する。この当たり前のことが、モノへの感謝に繋がるのだと思います。割と、学校視察をしている私ですが、そんな教育をされている学校に、「他とは違うな」という印象を抱きました。
小中一貫教育は、中1ギャップをなくし、小学部から中学部へのスムーズな移行を目的とした政策です。この政策の素晴らしさについては何度も勉強してきたので、十分理解しています。知りたいのは「どうやって実現したのか」なんです。
やはり、地域住民、現場の教師、保護者からの反対はあったようです。特に、市町村合併後、小中学校を統廃合されてからの小中一貫導入なので、旧村の方々は「吸収合併」という感情もあり、なかなか苦心されたとのことですが、校長先生たちは仕事が終わった後、地元への説明を3カ月続けられ、地域の理解をいただき、現実化したというお話でした。
また、「礼節ことば科」という一般的な道徳を具体化した授業もしておられ、この教科書も先生方が自発的に作成したということです。道徳心が欠如しているといわれる昨今の教育において、最も大切なものを具体化されているということに、非常に心を惹かれました。
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産業振興は、民間出身の新市長が強烈なリーダーシップを発揮し、他地域との差別化を目指されています。
小中一貫教育や礼節ことば科も、胆力のある校長先生がリーダーシップを発揮され、素晴らしい特色のある学校づくりをされています。
当たり前のことなんですが、事を為すのは「人」です。
「人づくり」、つまり教育こそが、地域を支え、国を支えるための礎になるのです。
高石のなかで「自分は何をすべきか」何度も何度も見つめなおし、反芻し、「実現」へと向かってまいります。
先日のワールドカップ・アジア予選リーグで日本代表がタジキスタン代表に8-0で大勝し、次なるステージに向けて自信と励みをつけることができました。
その対戦相手であったタジキスタンは圧倒的大差で敗北に喫したのだが、代表の監督があまりにも素晴らしいコメントをされているので、アップします。
「昨日の前日記者会見で言ったとおり、今日は守りに徹する。
そのつもりでプレーしたが、完全な守備というのは芸術に等しい。 我々はその域には達することができなかった。 見事な勝利をした日本を心から祝福したい。 これは実力の差、当然の結果と言えるだろう。 日本はビッグなチームだった。」
「昨日の会見では、なぜそんなに控えめなのかとも言われた。 今日の結果で、どうして昨日のような言葉が出たかお分かりいただけたと思う。 冷静な自己分析によるものだ。 ただし、我々の選手たちは最後まであきらめずに走った。 日本を抑えることはできなかったが、 あきらめなかった選手たちに心から感謝したい」
「日本はウズベキスタン、北朝鮮とは比べ物にならないほど強かった。 今日、日本がほぼベストメンバーで戦ってくれたことに感謝している。 私たちは勉強しにきた身分だ。 苦い経験ではあるが、私も選手も今日の結果を受け止めて 将来に活かしていきたい。 何よりも日本に感心したのは、無駄な動きが一切なかったことだ。 最後の3分間も全力で走っていた。これには感銘を受けた」
「我々のホームで戦った場合、このような立派なスタジアム、芝生ではなくて、 環境はもっと劣悪になる。ピッチの条件によって、日本のサッカーがどう変わるか。 そこに関しては多少期待している。 ただ、日本とタジキスタンは残念ながら同レベルではない。 芝生の状態いかんで縮まる差ではない。これは冷静な判断。 ただし、ホームの観客が喜ぶようなサッカーを見せたいと思っている」
「(最後までクリーンなプレーを続けたが?)ラフプレーには走らない、 クリーンなプレーを心がけるというのを選手たちは理解している。 私たちは日本の選手をけがさせるために来たわけではない。 日本はもっと高い目標を置いているチームなので、 こんなところでけがをさせては申し訳ない。 それに、偶発的に手や足が出ることはあるが、 日本の動きが速くてそれもできなかったのもある」 |
試合をテレビで観ていた私としては、3-0以降の日本の追加点には、それほど歓喜しませんでしたし、一緒に観ていた妻も、つい「可哀想・・・」と女性らしい(慈悲深いという意味での)言葉が漏れていました。
しかし、一度ピッチに立った者としては手加減することはクリーンなプレーではないのです。勝者が敗者に手を抜くことは侮辱に等しい行為であって、ピッチ上で互いの全力のプレーをしなければならないのです。
それが勝負に挑んだ者たちの覚悟というものでしょう。
それでも、「言うは易し」で、そこまでモチベーションを保つということは難しいと思います、特に圧されている側は。
歴然たる力の差を見せつけられ、その有りの侭を世界中に放映され、さらに点差を拡げられ・・・。
全力でプレーするのに非常に厳しいコンディションであることは言うまでもありません。
しかし、それでもタジキスタンの選手は最後まで全力でボールを追いかけました。
そこに、この試合の大いなる意義を感じます。素晴らしい試合でした。
最後まで全力で闘ってくれたタジキスタンの選手に感謝です。
プレーしていない私が言えた身分ではありませんが、日本の選手は、こんな国と闘えた事に感謝し、そして、勝って兜の緒を締めて、次の試合も必ず勝利の栄光を手にして欲しいです。
「じゃぱんさみっと」さんで「地方政治の現状と、今後のあるべき姿について」というテーマでお話をしてきました。
以下、講演の主な内容です。
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みなさん、居酒屋に何を求めますか?オツマミが美味しい、焼酎の種類が多い、気の合う友達と飲みあえる環境。それぞれ、求めるものは違えど、明確なニーズというものがあります。
同時に、国政に何を求めますか?社会保障、少子高齢化、国会議員のコンプライアンス、マニフェストを守ること。色んな媒介を通して、情報が入ってくるので、漠然でも求めるものというものがあると思います。
では、地方政治に何を求めますか?こう聞かれると、頭の中にクエッスチョンが出てくると思います。
それだけ、地方政治に関心がないということであり、それだけ地方政治が何を担っているのか、ということが発信されていないということの顕れです。
でも、選挙権はあります。市議や市長に、一票を投じる価値を持っています。求めるものがないのに、候補者を選べますか?それで納得のいく地方政治ができていなかったら、それは当然に齎されるべき結果ではないのでしょうか?
私が、地方議員として日頃、肌身に沁みて感じるのは、有権者と地方議員の問題意識の剥離です。
議員の候補者は「こんな町にします!」と主張し、有権者は「その考えに賛成!」ということで、投票するわけです、原則は。でも、互いの問題意識に大きな違いがあるのに、その関係性を築くことができるのでしょうか?
そういった問題意識の格差を利用し、「市民受けのいい政策を唱えれば選挙は勝つ」と思っている地方議員候補者は、意外に多く、意外な人物が往々にして、そう思っているかもしれません。
市民も騙されるわけにはいきません。しかし、日本の政治の現状を見ると、騙されているようにも見えます。名古屋市長なんかは、その衆愚政治のおかげで市長の座に座っている典型ではないでしょうか。そんなことが見え隠れするから、市民も政治に愛想を尽かすようになります。
日本の政治不信を覆っている要因は、この悪循環により膨れ上がった不信のスパイラルだと、私は思っています。
でも、仕方がない事なのかもしれません。今まで、地方政治は、地方政治が何を担い、地方政治の何を市民に発信するべきなのか、という事を何もしてきませんでした。
地方政治に何を求めるか?という問いに対しすぐさま応えることのできないということから、今の有権者は、地方政治に関しては、国政以上に無教養なのです。
有権者は、遠い国会で行われている情報には近くて、近い地方議会で行われている情報には遠いというギャップのなかにいます。
しかし、今まではそれで良かったのです。日本の社会のルール(法律等)のほとんどが、遠い国会で議論され、ほとんどがテレビの向こう側の世界で決定されてきたのですから。そこには現場感覚など無くても、実際の市民の声など無くても良かったのです。
全ては、国が決め、地方はそのルールに従って業務を粛々とこなしていれば、地方政治は成立していたのです。
でも、もうそんな時代では無くなりました。夕張市が財政破綻した後は、市民に対し大きな影響を与えました。ゴミなど手数料の大幅な増、福祉の切り捨て、職員の削減、未整備インフラの放置などなど。「行政サービスの極端な低下と大幅な増税(料金含む)」という責任を、市民が被らなければならなくなったのです。だって、夕張の議員と市長を選び続けたのは、夕張市民なんですから。
そして、その波は加速度的にやってきます。
それが地方分権です。
ネガティブな話でしたけれど、私は地方分権には大いに賛成です。
現場の事は現場で決める。市民の要望は、そのまちで完結できる。こんな地方政治を、私は実現しなければならないと思っています。
ただし、その責任は、職員や市長はもちろん、議員にだって、そして市民にも、もっと明確にやってきます。
だから、私は注意を促すのです。
地方政治に何を求めますか?という問いに対する答えを少しでも考えて下さい。それが的外れでも、コスト意識を考えてなくても、皆さんの近くの地方議員さんに聞いてみてください。そこでの地方議員との問答こそ、皆さんが地方政治を知る最大のきっかけになるんです。
皆さんが「世の中こう変わるべきだ」と、身近にいる地方議員に投げかけても、今の政治のシステム上、地方議員のできることはたかがしれてます。そんな狭い仕事の領域しか与えられていないのです。
それを拡大し、市民の要望を実現するカタチに持っていく社会に移行していくことが、私の理想とする地方分権です。
そして、皆さんが地方政治に関心をもち、郷土愛と誇りを持っていただくことが日本を再興する最大のキーポイントだと思います。
※地方分権の内容については下記資料参照
※これは簡単な原稿です。実際の講演内容とは若干の違いがありますので。
日曜日は、午前中に月に一度の青空魚市のお手伝い。雲行きが怪しかったけど、何とか保ちました。
急に、寒くなりました。
クールビズも終わりました。
冬が好きな私は、温度が下がるにつれ、意気揚々としています。
もうすぐ、あの美しい冬がやってきます。
今年も積もればいいのにな。
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この日の午後、久しぶりに友人を我が家に招きました。
私、こう見えても料理が好きなんです。
しかし、この取り繕ったような支度の写真。
あまりにも違和感があって、あまりにもシュールな面白さがあったのでアップ(笑
この日のメニューは、
・ゆで卵のトンナート
・カボチャのマリネ
・ハマチとオクラのごろごろサラダ
・トマトとアンチョビのスパゲッティ
・じゃこのペペロン
・タイ風カレー
です。
あまり、添加物などに頼らないような自然のものを使うようにしています。かつ、安価で。
お客さまも妻も、喜んでくれていたようなので、素直に嬉しかったのですが、全力で照れ隠しをしました。
自分が食べるだけなら適当に作るのですが、ゲストに食べてもらって、喜んでもらえるというリアクションは、何より有難く、かつ、心地よく思えるものです。
普段、忙しさにかまけて、家の事になかなか気を配れてないので、たまには、こんな日もいいかな。
さて、次はどんな料理に挑戦しようか。
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