» 2013 » 3月

高石に部屋を構えてくれてる松ヶ根部屋の千秋楽祝賀会。

輩出する松鳳山は大阪場所では無念の負け越し。
プロとして「敗れる」ということは僕らの想像を絶するほど無念であることに違いない。
サッカーも、野球も、陸上も。だから、「○○してれば勝ててたかもしれないのに」と真剣勝負とは程遠い安全地帯にいる我々が意見を述べるには、我々にも相当の覚悟が必要になってくると思うのです。でなければ、それは無責任な外野。

負け越した松鳳山は相当悔しかっただろうに、私たちの前で無念の弁と来場所へ懸ける思いを語ってくれました。

相撲に全く関心がなかった私は、松ヶ根部屋が高石に部屋を構えてくれて、初めて「松鳳山カッコイイ!」と思わせてくれただけで十分有難いと思っています。
来場所頑張って下さい。

私は貴方達がいるからお相撲が好きになりました。

本当に有難うございます。

議会開会中、家事がまともにできていなかったし、夜遅くの帰宅が続いたので、何日かに渡って料理を作るようにしました。ええ、そうです。禊というものです。

私はイタリアンで調理をしていた経験も手伝って、パスタを作るのが好きです。それらを食べるのも好きです。

 

パスタだけでなく料理全般は、食材にこだわればある程度までは美味しく完成させることができるので、冷蔵庫にあるものや安価で美味しい素材をどこまで使えるかが家庭料理の妙味だと思っています。

そんななか、最近やっと、納得できるレベルまで高めることができました。

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↑盛りつけは赤点ですが、キンメのアクアパッツァです。

いつも行く魚屋さんで、安価でプリプリのキンメでした。素材に助けられました。

安価のハウスワインを使いました。食塩が入っているのを知らず・・・少し塩辛くなってしまいました。素材にやられもしました・・・orz

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↑月に2回ほど行く産直で買ってきたブロッコリ。甘くて大きくて、お値段が二ケタ代。

アンチョビで炒めました。ブロッコリの茎も美味しく茹でれることを初めて知りました。

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↑これも産直で仕入れた風味抜群のマイタケで牛乳仕立てにしました。

生クリームなんて常に冷蔵庫にないのですが、牛乳でも十分うまいパスタができます。

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↑これが今までで至高の出来。

まだ使われていない香味野菜たちでトマトソースを拵え、アンチョビで味付けし、からめました。何よりも大した素材でないのに美味しく作れたというのが嬉しいですね。

料理をしていると、仕事とは全く違う頭の使い方になるので、良質なクールダウンをもたらしてくれます。サービス業が長かったからか、妻と娘が喜んでくれるのも、励みになります。

妻が「売れるレベル」と勿体ない評価をしてくれたので、翌日に本物の「売れるレベル」と較べてみると、その差は歴然・・・。

家族や、たまに来てくれるお客さまに喜んでもらうよう、これからも励みます。

 

 

 

 

■  母語を学ぶという国際的使命

社会問題でも「日本語の乱れ」が指摘されておりますが、独自の言語を護持するというのは国際的に課せられた使命でもあります。世界では6000の言語がありますが、その独自の言語を母語として話せるものが一人しかいない言語、つまりその方がお亡くなりになったときに絶滅してしまう言語が52あると言われ、少数の高齢者しか話していない言語、同じくその高齢者がお亡くなりになれば絶滅してしまう言語ですが426あると言われています。そして、21世紀中には6000の言語が半分になるという推移がだされています。

イヌイットでは、「雪」を表す言語が20以上あるそうです。「細雪」や「吹雪」だけではなく、「これは何時間後に大雪になる雪だ」「これは数日後、温度が上がれば雪崩を起こす雪だ」というように、彼らの厳しい生活環境が言語を作りました。そして、これはイヌイットだけではありません。言語というのは民族・国家が伝えるところの、最も基底文化が集約されたものなので、言語が絶滅するというのは、地球上から多様性が失われていくと問題視されております。

 

■  日本語を教える意義

言葉は、その民族の信仰や環境、文化の集約されたものであり、そのなかでも日本語の特徴というのは、一音一音が明瞭であること、母音がハッキリしていることなどが挙げられます。発音が明瞭であることは、俳句や短歌という文化を生みだしました。英語では5・7・5と発音を分けるのは不可能です。そして、母音がハッキリしているということについては、「たとえば」という発音は「たぁ」「とぉ」「え」「ばぁ」というように母音が残ります。一方で英語は「スッ」「クッ」「ツッ」と子音が残る音がたくさんあります。

これが何なのかというと、こういう特徴の言葉を話すということは、こういう特徴の言葉を話している民族の感性が養われるということになるという研究結果(『日本人の脳』角田忠信)がでています。左脳・右脳どちらの脳がどんな音を優位に処理しているかという研究結果では、西欧人と日本人では全く違う音の処理がされているという結果が出ています。(下図参照)

 

左脳

右脳

日本人

言語音

母音、子音

感情音(笑、泣、嘆、甘)

動物、虫、鳥

波、風、雨

邦楽器

西洋楽器

機械音

雑音

西欧人

言語音

子音

西洋楽器

機会音

雑音

母音

感情音(笑、泣、嘆、甘)

動物、虫、鳥

波、風、雨

邦楽器

この違いがどう感性に影響を与えているのかというと、江戸時代に子どもが虫かごに鈴虫を入れて音色を聞いていたら外国人は大変驚いて本国にその様子を書きおくったというエピソードがあるように虫の音などの自然の音の処理の仕方が違うので、西洋人は虫の音や雨の音をノイズとして処理をしてしまう傾向にあり、日本人は言語として処理するので、感性が違ってくるそうです。秋の虫の音、ししおどし、水琴窟などに感動する外国人もたくさんいるが、それは日本人の独特の感性が生みだした文化です。(日本人が感覚的で、西洋人が論理的だと言われる所以はそこにあるのかも知れませんね。)

実際に、日本で生まれ育ち日本語を話し続けた在日外国人は、日本人と同じよう言語処理をおこない、外国で生まれ育ち日本語を話し続けない日本人は、西洋人と同じような言語処理をおこなうという実証もされているそう。民族の存在証明は血統か出生地かで分かれるなか、中東では言語によって分かれている民族もあります。

日本語を話すということは日本人独特の感性を育み、ひいては日本文化の護持、発展において必要不可欠なものであるということです。

 

■  日本語とは?

日本語とは何なのか?ということですが、私がここで申し上げる日本語とは大和言葉といわれるものです。渡来人により漢字が伝来したのが弥生時代の中期以降と言われておりますが、大和言葉はそれ以前の縄文時代に使われていたと言われております。では、なにが大和言葉なのかと言いますと、それは漢字の訓読みにあたるものです。例えば天気の「天」という字。この文字の音読みは「テン」となり、訓読みが「あま」と読まれます。とするならば、「あま」が大和言葉というわけです。

そして、これには一音一音意味があります。

例えば、「あ」という音は、口から発音されるのに何の障害もないことから「開く、明るい、新た」という開放的で開き広がるという意味があります。そして、「ま」という音は、一度口を閉じないと発音できません。だから、少し奥にあるもの、真理とか的、誠という意味があります。この二つを組み合わせると、真理が開き広がっている「あま(=天)」すなわち宇宙という意味になります。ちなみに、先ほどの「なおる」は「なほる」といい、「な」には調和、「ほ」には稲穂の穂のように緩やかな出現という意味があります。

このように大和言葉にも漢字のように一音一音意味が与えられ、それによって私たちの使用している日本語を形成しております。これは、昔の日本人の生活環境、文化、信仰が作り上げてきた忘れてはならない縦糸であります。日本のような稲作に適した肥沃な土地、温和な農耕民族だからこそ形成された言葉、それが大和言葉であり、日本語であります。

 

このような背景と思いのうえで質問します。

1.学校教育において日本語を学ぶ意義というものをお聞かせいただきたい。

2.この大和言葉についてのご見解をお聞かせいただきたい。

 

【答弁】

ただいまの件につきましては、母国語である日本語、すなわち国語の教育は学校教育活動の根幹をなすものであり、各学校では国語科の授業を中心にいたしまして、全教育活動において児童・生徒の指導が重ねられております。御質問の日本語の習得は、個々人の一人一人の人間形成の中核をなすものであり、国語を学ぶことは、考えたり表現したりする知的活動の基盤、また感じる心や思いやる心などの感性、情緒の基盤、そして意思や感情を伝え合うコミュニケーション能力の基盤をつくり上げていくものであると考えております。また、国語を学ぶことは、先人が築き上げてきました詩や歌、また文学などの伝統的な文化を理解、継承し、新しい文化を創造、発展させるためにも欠かすことのできないものと認識しております。学校教育において、読むこと、書くこと、聞くこと、話すことの言葉の学習活動を重視するとともに、子供を本に親しませる子供読書のまちづくりに取り組んでいるところでございます。

議員ご提案の大和言葉に就きまして、私自身がとらえておりますのは、日本のよさ、芸術、文化のようないわゆる1,000年、2,000年続いているものをどのように子供たちに伝え、日本人の言葉を含めた「心」というものを伝えていかなければいけないということを感じました。大和言葉ということにつきましては、学習指導要領の中には大和言葉ということは触れられておりませんし、当然のことながら、教科書でも扱っておりません。ただ、今回の学習指導要領の中で、伝統文化の尊重ということが大きくクローズアップされました。例えば、小学校国語では、伝統的な言語文化に関する指導の重視です。具体的には、和歌や古文などの中で用いられる日本語の持つ響きの美しさや日本固有の言葉が脈々と受け継がれてきた歴史的な背景に触れ、児童に日本語の豊かさや温かさを感得できるような指導を行いましょうといったようなことが載っておりますし、このようなことを通しまして、日本の心、和の心を学校現場でお伝えできたらと思っておりますし、そのことが、畑中議員が御提案の大和言葉の世界にもある程度は一脈通ずるものというふうに思っております。

 

【要望】

学校のカリキュラムに無理やり入れろと申し上げているつもりはありませんので、誤解なきようお願いしますね。もちろん、教育は学習指導要領が基本であります。

ただ、ホームルームなどの時間を利用して、子どもたちの頭のクールダウンにこういった大和言葉のお話も取り入れていただきたいと思います。一音一音意味があるということは、子どもたち一人一人の氏名にも意味があり、それを基に占い遊びなどで「日本語の原点」を教えていただければと考えておりますので、宜しくお願い致します。

南海高師浜線を存続させるという目的から“ブランド戦略”というものが生み出されました。私が考える「高石市の人口を増やすために良質なイメージを発信し、同時に市民サービスも整えていくことを目的としたブランド戦略」とは全く違いますが、高石市の定義するブランド戦略とは「高師浜線を存続させるための戦略」だということです。高師浜線の存続に向けて高石市は色々な策を考えだしました。共同バスターミナルや伽羅橋駅の活性化・・・これらを「6つの柱」として進めていく関連の予算が平成25年度予算の主な項目となり、予算委員会ではこの項目について議論が集中しました。それこそ市長に近い議員、遠い議員関わらず、激論が交わされました。この6つの柱については後日、詳しく書かせていただきます。

さて、もちろん、採決が分かれました。

以前に、高志会のチラシで書かせていただきましたが、予算というものは賛成・反対という意思の向こう側に導かれる結果に責任をもたなければなりません

反対としたならば、予算が否決されることが反対する上での成果物なのですから、市長の政策的予算が執行されず、2~3ヶ月は暫定予算が組まれて、その間、例年継続されてきた市民サービスは停滞し、予定していた契約もできなくなり・・・というリスクを抱えなければなりません。つまり、「この項目は賛成でやって欲しいけど、これとこれが嫌だから反対」という理屈は通じないということです。

逆に賛成としたならば、「これが嫌だから予算執行しないで」と甘えることはできません。万が一、議会が行う予算執行で将来に大きなツケを回してしまう結果がでたとしたならば「なぜ、あの時議会は止めなかったんだ」という責任を負わなければなりません。予算執行されるリスクを抱え、その行く先を注視しなければなりません、場合によっては軌道修正をかけていくことも求められます。「この項目は反対で、留まるように議場で言ったんだけど、総論は賛成だから」という言い訳は通じません。賛成に手を挙げたんなら、自分の納得のいかない予算執行にも責任を負うべきなのです。

反対して予算執行されないデメリットか、賛成して予算執行されてしまうデメリットかを選択しなければなりません。それが嫌なら退席したらいいのです。

予算には項目ごとの賛否が問われません(それがあればホントに助かるのですが・・・)。つまり、100 or 0で、予算執行においては付帯決議も議員の権限外とされています。

今回、三セク債の発行や中学校給食などの項目も予算計上されておりましたので、予算案に賛成をしましたが、過去を振り返ってみても、これほど悩まされた賛成はありませんでした。上記にある高師浜線の存続で、「これはアカンやろ」という項目がいくつか存在していたからです。(詳しくは後日のブログにて)

しかし、賛成をする以上は私の責任です。「アカン」と思う項目の予算執行を「納得できる」形に持っていくのも賛成をした議員の義務です。

 

「賛成=市長とグル、反対=市長の足を引っ張っている」という短絡的な構図をよく聞きますが、議員はそんな記号的な物差しで仕事しているわけじゃないということも知っておいてほしいのです。賛成する議員も反対する議員も、両方とも思い決断のうえ判断をしているということを知って欲しいと思います。

個別外部監査制度という制度があります。

この勉強会に出席すると

 

大概、

監査委員は職員OBと議員の古株が名誉職として選ばれる

まともな監査が行われていない

だから外部監査委制度が必要

という話をよく聞きます。

これに対して、「いやいやちょっと待って下さい。」というのが今回のブログ。

 

これこそ「聞こえのいい制度の導入で問題解決を図る」思考に捉われ過ぎています。そもそも監査委員は議決が必要なんです。つまり、職員OBが名誉欲しさに監査委員についてまともな監査が行われていないならば、議会が「NO」を突き付ければいい。それだけの意思決定が議会に委ねられているのだから、堂々と行使すればいいのです。

それを「監査委員はまともな仕事をしないから外部監査が必要!」と主張してしまうと、矛盾が生じます。だって、そんな監査委員を決めたのは自分たちなんだから。

 

ちなみに、「私は反対したのに」と開き直る理屈もあまり好きではありません。議会は(残念ながら)多数決です。自分の思いを通したいならば、他の議員を巻き込み、職員を巻き込み、市長に自分の思いを伝えるチカラをつける努力をしなければなりません。「少数派」という立場は彼らなりのパフォーマンスに繋がりがちですが、それは自分の力量不足を暗に認めてしまっている顕れでもあるということを申し添えておきたいと思います。

 

さて、本題ですが、監査委員さんは低廉な報酬費で監査をやってくれます。毎月の例月出納検査、定期監査、住民による監査請求など、これらは「報酬」なのでどれだけ監査対象が増えようとも同じ価格でお仕事をこなしてくれます。一方で、外部監査は個別に費用が発生します。ですので、監査委員への報酬よりも高額になります。費用面で考えても、監査委員制度を「議会がちゃんと」活用すれば、「最小の経費で最大の効果」が得られるのです。

 

私はなにも外部監査を否定したいわけではありません。高石市にも条例設置されております。必要と判断されれば、導入すべきです。

ただ、今抱えている問題を現状の制度で解決できるのに、流行の制度を導入し、そこに解決の糸口を探すというやり方は、どうみても・・・効率悪いですよね。しかも、高額になるし。

 

社会問題を解決するのに「目新しい手法」「見たこともない手段」は一見、持て囃されがちですが、今の自分たちに与えられた採れるべき手段を全部やり切ったうえで判断しなければなりません。

 

他に頼る前に、自前で解決できるんなら、そうしましょうというお話です。

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