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大阪18区におきまして、微力ながら応援をしてました遠藤たかし氏が見事当選されました。

公選法上で御礼を禁止されていますので、ご報告までとご理解下さい。

 

また、他の地区で4名の同志が見事、当選をされました。

兵庫1区(中央区・灘区・東灘区)「みんなの党」井坂信彦

兵庫7区(芦屋市・西宮市)「みんなの党」畠中光成

広島7区(福山市)「日本維新の会」坂元大輔

千葉1区(中央区・稲毛区・美浜区)「日本維新の会」田沼隆志

大阪府外において、無風状態の第3極にもかかわらず、当選を果たすことができたのは、彼らの地力が生んだ結果なのだと思います。

特に井坂さんと畠中さんは、衆院解散のずっと前から、一緒に街頭活動をさせていただいていたので、喜びも一入。

 

ただ、昨日あたりからマスコミや落選議員から勝者へのバッシング、厭味が漏れ聞こえてくるのは残念で仕方ありません。

選挙区によっては色んな事情があったのかも知れません。しかし、公然とクチにするのは非常に醜く映ります。

選挙に負けるということは、民意の所為でもメディアの所為でもなく、自分の所為なのです。対外的要因があろうとも、そう思い続けなければなりません。その悔しさを自己成長に振り向けなければなりません。

本田圭佑や香川真司がアウェーで堂々とプレーするように、政治家を目指した以上は堂々と闘い抜いたという矜持ある姿勢を国民に示すべきです。

 

私の同志には、上に書いた当選者だけではありません。

絶対に当選して欲しかった人もいます。お世辞にもスマートとはいえない対立候補に負けました。それでも、彼は相手の所為にせず、潔い姿勢を貫きました。

ウラでは悔し涙を流し、憎むべき相手がいたのかも知れません。でも、オモテには決してそれを出さず。

 

国民が辟易しているのは、相手の揚げ足を取りあう政治だと思います。選挙こそが民意とは考えませんが、それでも決着はついたのだから、挙党一致よりも一致団結して日本国の建て直しに努めるべきです。

「汚い手段で選挙に勝った奴がいる政党なんて信じられるか」と足を引っ張るような平和ボケは、もうやめましょう。そんな余裕ないですよ、わが国は。

 

これは、国民にも言えることです。

負け惜しみや責任転嫁をしてヒマがあれば、日本国のために団結しましょう。

 

私も負けたとき、そう思わなければと思い続けました。

政務調査費とは、私たちの研究や調査のために支給される必要経費で、高石市は月額36,000円支給されています。もちろん、これは税金です。なので、使途の領収書を添付した収支報告書の提出、ならびに5年の保管が義務付けられています。公開もされています。

使途はかなり厳しく、ポイント付きの購入は禁止(ポイント分を減じても同様)、なのでほとんどのクレジットカードは使えません。ということは低廉な活動をするためにETCで移動しても、その高速代は支出されないということになります。なので、何かを調べるために高速道路に乗っても、割高の現金払いでしか適用されないという少し矛盾している点も発生しているのが現状です。

 

そんな政務調査費が来年度から「政務活動費」に変わります。交付の目的が「議会の議員の調査研究その他の活動に資するため」に改められます。つまり、交付の範囲が、調査研究だけではなく、その他の活動まで拡大されるというものです。

これが非常に曲者なんです。議員の活動というのは、かなり多岐にわたります。私の活動のほとんどは政務調査費では支出されないものなので自分の持ち出しで活動をしています。例えば、議員同士のネットワークを構築するための年会費、簡易な聴き取り調査をするための他府県への交通費、党としての活動費(私は関係ありませんが)などが想定されます。無論、飲食代なんてのは以ての外。

 

こういったものに対し、果たして税金で交付して市民が納得してくれるのかどうかを自治体ごとに条例で定めなければなりません。現在では内規で定められていますが、それでもオンブズマンに叩かれる自治体の議会事務局もあるほどです。高石市議会として難しい選択をしなければなりません。

 

そもそも政務調査費の残念な使い方をして、新聞紙面に掲載され、市民の政治不信を増長させてきたことが根本だと思います。調査だろうが活動だろうが、それを使う人間の資質が何より大切なんですが、それを規定するルール作りも同じぐらい大切なので、しっかりと考えなければなりません。

 

他にも、様々な議会に関する法律が改正されましたが、阿久根市の専決処分乱用問題や名古屋市のリコール問題で浮き彫りになった課題にフタをするような改正がほとんどでした。

急に暖かくなり、桜が見事に花を咲かせてくれています。

今年はゆっくり桜を見たいので、昨日は、昼から大学時代の友人と大阪城公園へ行ってきました。

 

どこかしらの大学がサークル活動で花見をしているのを遠い目で見て「昔はあんなんやったなぁ」と思い出しながら、楽しんでいました。すっかりオッチャン、オバチャンです。

どんな友人と会っていても必ず話題に挙がるのは「政治のお話」。私の仕事柄もあるのでしょうが、個人的には色々な意見が聞けるので、非常に有難いことです。

 

例えば、こんなお話。

「高石は待機児童もゼロで、小中学校も耐震化できてるらしいやん。高石に住みたいわぁ。」

しかし、高石市民は、

「高石は子育てに力を全然入れていない、どんどん人口が減っていっているのはそのせいだ。」

というご意見も同時にあります。

 

この意見はどちらも正しいので是非で判断するのではなく、市内に住んでいる住民と市外に住んでいる住民の両方の視点からの意見だと受容しなければなりません。

おそらく、前者の住んでいる市も、高石市からみれば羨望の眼差しで見えているのかもしれません。

 

私が申し上げたいのは、

「自分のまちを誇りに思うこと」と「他市の価値を認め、学ぶこと」をバランス良く見なければならないということです。これは市議としてではなく、市民に向かって、つまり皆さんに向けての私の思いです。

 

いま、どちらかというと、隣の市の羨ましい部分だけが目立って、自分のまちの誇れる部分が感じられなくなってしまっていると感じます。

それは、地域単位でも、国単位でも。

 

その原因は、政治腐敗や先行き不透明な国の行く末など、例を挙げればきりがありませんが、忘れてはならない原因のひとつには「住民の自分のまちに対する思いの希薄化」もあります。

 

「そんなこと言ったって、市が一体どんな状態か分からないし、日々の生活でまちの情報を得ようとする余裕なんてない」と言われそうですが、それも一理あるんですね。

だから、私はもっと若者が容易に情報を摂取できるようツイッターやフェイスブックなどを活用し、市役所や公民館に行かなくても、また、自動更新などで自ら積極的に情報を得ようとしなくても、身近にまちの情報が把握できるようにしたいんです。

 

少し余談になりましたが、自分のまちを誇り・・・というと大げさかもしれませんが、もっと好きになってもらい、「他所のあそこが羨ましいから高石にも取り入れて」という単純な動機ではなく、「高石が好きだからこそ、ここは他所の取り組みを入れて欲しい」という動機に変えていくことで、市民の声も強くなるし、何より、市民一人一人に当事者意識が芽生えます。

 

私の考える政策や主張は、高石市民がそうなってもらえるように集約されます。

制度設計やサービス拡充も大切ですが、そんな市民意識を少しずつ変えていくことももっともっと必要だと思うのです。

ネット選挙に向けて一歩前進!

選挙公報、ネット公開可能に=次期国政選挙から-総務省

 総務省は5日までに、次期国政選挙から、候補者の経歴や政見を載せた選挙公報を、全国一斉に都道府県選挙管理委員会のホームページ(HP)で公開することを決めた。東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の3県で行われた知事選などで試験導入した結果、特段問題が生じないと判断した。
選挙公報は現在、選管が新聞折り込みなどで戸別に配っている。インターネット上での公開は、内容の改ざんなどの恐れがあるためこれまで認めていなかった。しかし、被災3県では転居した人が多く、選挙公報を多くの人に届ける手段として、特例的にHPに掲載することを認めた。
3県では他人による書き込みを防ぐセキュリティー対策などを講じ、実際にHPに掲載しても問題が生じなかった。このため同省は3月29日付で各都道府県選管に「選挙公報のHP掲載は可能」と通知した。全国で統一的に実施する具体的な掲載方法は別途検討する。

時事ドットコム

 

・・・なのでしょうが、こんな簡単なことが今まで出来ていなかったのが不思議で仕方がありません。

改竄の恐れがあるなら、PDFで掲載すれば済む話じゃないのだろうか。

それでも100%の保証はされないだろうけど、たったこれだけの一歩にどれだけの時間とお金を費やしてきたのかが知りたいです。しかも、国政だけて・・・。

 

公権力の行使というものは、安全牌や予防線を張り過ぎるぐらいが、ちょうどいいのかも知れませんが、スピード感が余りに遅過ぎて世情とのギャップが大きくなり過ぎています。

だから、それに染まった政治家や公務員のアカウンタビリティが国民に納得されにくいという一面もあると思います。だって、国民の多くが働いてくれている民間の方が先を進んでいるから。

 

インスピレーションや直感だけで、物事を進めてはいけない組織が公ですが、もっと時代の流れを読み解いた判断と行動をしなければなりません。

昨日のヨミウリの朝刊

<「大阪府学テ」不参加11市町村>

府教委が6月に公立小、中学校を対象に行う「大阪版学力テスト」に不参加の市町が増えている問題で、新たに和泉市が不参加、八尾市が参加を決めたことが府教委のまとめでわかった。府内43市町村の方針がすべて明らかになり、不参加は11市町で1/4を超えた。

和泉市教委は、今回から児童・生徒に渡す成績表に在籍校の平均正答率が記されることが「学校の序列化につながる」と不参加の理由を説明。府教委は「不参加は極めて残念だが、判断を尊重する。」としている。

和泉市以外の不参加の市町は、大阪、箕面、大東、大阪狭山、泉大津、高石、阪南の各市と豊能、能勢、熊取の各町。

 

反対の市町は、和泉市教委の理由とほぼ同じでしょう。

クローズされていた各小中学校の平均正答率がオープンになる。

小中学校の序列化が明確になる。

不動産屋の手に渡れば、事前に学校のレベルを伝える。

もしくは、風評被害が活発になる。

成績の悪い学校区はどんどん人口減少。

廃校。

という論理ではないでしょうか。

 

でも、自分のまちの小中学校のレベルは、大体把握していると思うんですよ。

よく「A中学校は不良が多い」とか「B中学校区は成績優秀」とか。

でも「A中学校はクラブ活動が盛んで、成人した今でも当時の友達関係が続いている」とか「B中学校は勉強ばかりしていたせいで、人とのコミュニケーションがどうしても苦手になってしまった」とか、まわりでよく聞く話じゃないですか?

学校別の平均正答率がオープンになってしまったところで、人口減少や廃校につなげるのは、聊か論理の飛躍だと思います。

でも、これは、学力テスト公開非公開における個人的な見解。

 

もう少し掘り下げて考えてみると、なぜ今迄通り自治体別に統計をとろうとしなかったのか、もしくは、小中学校別の平均正答率をクローズにするよう徹底しなかったのか。

学力テストというものは、比較検討材料が少なければ少ないほど意義が薄くなるもの。1/4しか参加出来ていない状況は、もはや学力テストを共通で実施する意義が無くなっていると考えます。

 

つまり、府内の公立学校が全校参加することによって学力テストの意義が最大限発揮されるという大前提があるのにも関わらず、なぜ、反対する市町がでてくる結果を安易に予想し得る、各校の平均正答率をクローズしないという手法を採らなかったのか。

 

反対する市町の炙り出し?あとで、何らかの制裁が?

色々と見え隠れする「学テ問題」

かつての高石は、財政再建団体への転落まで第一歩の状態でした。

また、議会と市長の関係が悪く、様々な改革が前にも後にも進まない状態でした。

そう考えると、今の高石の市政運営は正常な状態です。

土地開発公社、国保会計の健全化や、

一日も早く南海・東南海・東海地震をはじめとした災害から護るための防災計画など、

急がれる行政課題はあれど、

かつての高石より「焦眉の急」と言うほどでもありません。

 

将来に必ず大きな問題を招きそうな軋みは、こんな時にこそ、往々にして発生するもの。

 

私は、この高石市という行政そのものが緩やかに制度疲労を起こしており、

勘のいい者は、薄々と感づいているが、それでも確証はない。

しかし、確実にそれは進行しつつある。

という状態だと思っています。

 

皆様にいたずらに不安を与えるつもりはありませんが、

職場に漂う空気感、漏れ伝わる苦言、市民から感じる閉塞感など、

負の波動が集約するところに何かしらの原因があります。

 

今日は、職場の人事異動がありました。

昨日は、副市長が新たに2名体制となりました。

この靄のかかっているような閉塞感を打ち破るにはどうすればいいか、

そんなことを感じながら、新たな副市長に期待をし、

闊達な意見が飛び交う職場になるよう人事異動の報告を読みました。

 

危機感を感じたら、その時点で役割を与えられている。

私の師の言葉ですが、まさしく今、そんな心境。

 

 

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
『キノコは、風通しの悪いじめじめした場所に生え、増殖する。同じことが、人間の組織やグループでも起きる。批判という風が吹き込まない閉鎖的なところには、必ず腐敗や堕落が生まれ、大きくなっていく。批判は、疑い深くて意地悪な意見ではない。批判は風だ。頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。
だから批判はどんどん聞いたほうがいい。』

 

娘が生まれて、妻は産後の休養のため実家に帰っていました。私は、4年間の市政報告のポスティングで市内を自転車で走り回っていたので、揺れに全く気付きませんでした。4時ごろに娘の顔を見に、休憩がてらに妻の実家に行くと、「東北が大変なことになってる!」と妻がテレビを観ながら、私に言いました。「マグニチュード8」「東北地方全域に大地震」というテロップを観て、大変驚くとともに、「大阪への影響は?」と考えていました。そんな的外れな想像をしている私を余所に、テレビの向こう側では、人の営みと命を奪った津波が猛威を振るっていました。

 

あの極めて凄惨な災厄から1年が経ちました。被災していない私たちは、無力ゆえのジレンマを抱きながらも「それでも私ができること」を模索しながら、支援を続けています。高石市議会でも義捐金を送り、高石市も他市と連携し救援物資を送りました。関西広域連合はカウンターパート方式により効率的な支援をし、ボランティアなどの人的支援においても現在でも必要とされています。知合いの市議は、いち早く被災地の人たちが仕事できるように自分のまちの漁協に頼み込み、漁船を送りました。

 

様々な立場で様々な支援があったからこそ、道や田畑を覆っていたガレキは撤去され、復旧への道のりは遅まきながらも進んでいます。しかし、原発問題、がれき処理、二重ローン、仮設住宅、復興財源、被災者雇用、不明者の捜索、メンタルケア、止まない余震、経済復興・・・。まだまだ多くの問題を抱えています。

 

この未曾有の大災害を教訓として活かすために、高石市はもちろんのこと全国の自治体が減災へと繋がる政策を展開しております。私も現地に入って、実際にどういった体制が課題になったのか、残酷と思いながらも教訓を活かすために現場の市議さんや職員さんとヒアリングをしてきました。「少しでも高石市にフィードバックできるように。」ちっぽけな自分ができることは、それぐらいしかない、と自分に言い聞かせていたのかもしれません。

 

それでも、未来のために、葛藤を抱えながらも高石というまちの市議として果たしていくべき役割を全うしたい。災害対策は目先のことのみではなく長期的な視点で考える必要があります。たとえ今は理解できなくとも、あの時におこなっていた備えが今こうして役に立っていると思ってもらえるように、このまちの為に、この国の為に、使命を果たしていきます。

 

あの極めて凄惨な災厄から1年が経ちました。今日は、その誓いを新たに強く自分に植え付ける日です。

7期のインターンシップが始まります。

今日は、堺でその二次面談でした。

 

余談ですが、祖母のご友人と堺駅でお会いしました。堺市民会館で合唱のコンクールらしきものがあるとのこと。いつまでも活き活きと何かに熱中しているお姿はお幾つになっても美しいものです。私も活き活きと魅せれるよう、今まで以上に熱中しているミッションに直向きに取り組まなければ。

 

さて、話を戻して、二次面談。

インターン生受け入れまでは、

学生交流会:議員と学生の交流会、設えは完全に学生の売り手市場・・・。

二次面談:ここで受け入れが決まります。トンデモな学生が来たら拒否します。

活動スタート:テスト終了後、インターン活動が始動します。大体2月上旬からが多い。

 

 

 

 

 

私が自分の時間と労力を割いて、学生を受け入れるには大きな目的があります。

それはレベルの高い有権者を一人でも増やすこと。

もちろん、今の有権者のレベルが低いということではありません。

ただ、政治家のレベルを上げるには、有権者の政治を見る目を鍛えることが不可欠です。

彼らが将来、大人になった時に、自分たちの住むまちで少しでも良い政治家を選ぶ、もしくは、政治家を育てることをして欲しい。そんな人間が一人でも多く地方に居れば、今よりも素敵な自治体になると思うのです。

特に地方分権で否応なく、地方の権限が増えます。同時に、責任が増えます。その責任は住民に圧し掛かります。

「知らなかった」では済まないようなことだって起こりますよ。

それを少しでも歯止めになるよう学生を、学生の間から鍛えます。

草の根的な活動ですが、そんな思いの地方議員はたくさんいます。

この1点が、輪になり、波になっています。

私にとって、遣り甲斐のある愉しい活動のひとつです。

ネットで見つけたニュースです。

URLはコチラから(http://www.narinari.com/Nd/20120117222.html)

最近は“食育”という言葉が広く使われるようになったが、自分自身の健康を意識するためにも、幼い頃から食事の重要性を知るのは大切なこと。それをあまり意識しなかったがために医師から命の危険を指摘される、17歳の少女が英国にいるという。彼女は2歳のとき、母親に連れて行ってもらったマクドナルドでチキンナゲットを食べ、その瞬間からナゲットの虜になった。以来15年間、ほとんどチキンナゲットしか口にしなかった彼女は、ついに先日栄養不足による貧血で倒れ、ようやく自分の問題に気が付いたそうだ。

英紙サンやデイリーメールなどによると、この少女はバーミンガムにある工場で働く、17歳のステイシー・アーバインさん。「私の主食は毎日チキンナゲット」と言い切る彼女は2歳でナゲットと出会い、「ほかの食べ物を口にする気が起きなくなった」。野菜や果物はほとんど口にせず、マクドナルドやケンタッキー・フライドチキン、スーパーで買ったナゲットを食べ続ける彼女に、母イボンさんは何とかほかの物を食べさせようと努力はしたが、全く状況を改善できず、数年前にはその努力も諦めてしまった。

ところが先日、彼女はそんな食生活の代償を身をもって知ることになる。突然貧血を起こし呼吸困難となったステイシーさんは、すぐに病院へ搬送。そこで検査を受けた結果、彼女の貧血は極度の栄養不足が原因と分かり、さらに舌の静脈が炎症を起こして腫れていた。幸い、ビタミンや栄養剤の投与で今回は回復したそうだが、彼女の食生活に驚いた医師は「こんな状態を続けていたら死ぬぞ」とハッキリ言い渡したという。

17歳にして娘が命の危険性を指摘されたとあって、イボンさんの心配は募るばかり。病院から戻った後はさすがにナゲット以外の物を彼女に食べさせようとしたが、口にしたのは朝食のトーストとポテトチップスくらいで、やはり「ほかの物は食べられない」と拒絶されてしまった。そんな娘の変わらぬ意志に「途方に暮れている」というイボンさんは今、専門家にしっかり診てもらおうと考え、彼女の説得に当たっているそうだ。

ただ、今回の病院搬送で、ステイシーさん自身の気持ちにも少しは変化が出てきた様子。今の食生活が「私にとって本当に良くないことだとはわかってきた」と話し、改善へのきっかけを探そうとの気持ちが芽生えてきているようだ。

自分が「おいしい」と思う物を食べるのは、誰にとっても幸せなこと。しかし、体が健康であるからこそ初めて「おいしい」と感じられるわけで、健康の基本となる食事に気を付けるのは、幸せな生活を営む上でとても重要だ。ステイシーさんも「2人ともきちんと食べる」という5歳の弟と3歳の妹を見習って、少しずつでも必要な栄養を食べ物から摂取できるように頑張ってもらいたいものだ。

 

彼女と話し合ったわけではありませんが、こういった偏食の問題の根本は「美味しいと感じれる食材が極端に少ない」ところにあると思います。

脂肪分の多いマヨネーズや味の濃いしょう油や砂糖、これらをあまり使わず、素材本来の美味しさを楽しめることができた子どもは、色々な食材を美味しく味わえる傾向にあります。これは、好き嫌いという概念ではなく、美味しいと味わえる食材が幅広く増えるのでしょう。

つまり、この逆だと美味しいと思える食材は少なくなります。ということは、「不味い」と感じる食材ばかりが増え、偏食になってしまう傾向にあります。

だから、小さいときから、インスタントラーメンや調味料漬けのオカズを食べさせるより、出汁をとった料理であったり、甘く美味しい野菜などを食べさせる必要があるのだと思います。

 

ただ、こんなことを言っている私ですが、中学生のときには、友人とファーストフードの店に行くのが楽しみでしたし、お金のない大学生時代は、そのほとんどがインスタントラーメンでした。

 

なにも100%無農薬だとか、オーガニックだとか、○○産だけに拘るだとかは、徹底する必要性もないと思います。あくまで、現実の生活に即して、できることをやっていこうと、自分自身には言い聞かせています。

 

私が、イチバン拘りたいのは、自分の子どもが大きくなった時に、色んな料理を美味しく食べて欲しいということです。美味しく食べれるのは、やっぱり幸せですから。

 

しかし、今は、あまりにも歪な食生活を送っている子どもたちが多いです。保護者が悪い、加工業者が悪いとかいう問題ではなく、消費者が少しでも関心を持てば、少しずつニーズが変わり、美味しい味を堪能できるような社会環境になっていれば、それはやっぱり、素敵な食生活です。

 

このニュースを見て、決して他人ごとではないと感じました。

高齢者は慢性的な疾病を患っているかも知れないから社会弱者で、母子家庭は就業困難であることから経済支援すべきで、障がい者は恒久的な就職が難しいことから生活困窮者である。

また、公務員は、無能で向上心がなく、コネ入社ばかりで、杓子定規でしか判断できず、給与以上に見合う働きをしていない。

政治家は、選挙に当選するための保身ばかりを考え、無覚悟の連中ばかりである。それだけではなく、その立場を利用し、悪徳な仕業により私腹を肥やし、国や地域の事など放ったらかしである。

 

上で述べたことは、往々にしてそうかも知れません。しかし、それぞれが正しいか間違っているかではなく、特徴を捉えているわけでもなく、私個人の、もしくは、同意された方の固定概念に過ぎません。

それに当てはまらない人だっているのですから。

 

障がい者への見舞金が改正されて久しいですが、「障がい者には補助をしなければならない」という固定概念のもと、お金のある人にもない人にも所得制限を設けずにばら撒きしていた歴史がありました。

 

本当に救わなければならない人たちのために使うお金、余分な補助になってしまうお金を、政策を思考する上で、余計な固定概念に捉われずに、見定めなければなりません。

そう思い続けて政治活動しているつもりですが、たまに再認識し、思い返す時もあります。

 

そんなお話をしたうえで、下の例文を読んでください。

ドクタースミスは、アメリカのコロラド州立病院に勤務する腕利きの外科医。
仕事中は常に冷静沈着、大胆かつ慎重で、州知事にまで信望が厚い。
ドクタースミスが夜勤をしていたある日、緊急の外来の電話が鳴った。
交通事故のケガ人を搬送するので執刀してほしいという。
父親が息子と一緒にドライブ中、ハンドル操作を誤り谷へ転落、父親は即死、子供は重態だと救急隊員は告げた。
そして重態の子供が病院に運び込まれてきた。その顔を見て、ドクタースミスは驚き、呆然自失となった。その子は、ドクタースミスの息子だったのだ。

 

 

 

 

 

 

さて、問題。この父子とドクタースミスはどのような関係にあるでしょうか?

 

これをハロー効果といいます。

この場合の、ハローとは「こんにちは」ではなく後光という意味合いで、認知心理学のひとつです。

昔、読んだ名言集のような本に「ポジティブでもなく、ネガティブでもなく、リアルに。」というフレーズを思い出しました。確か高橋歩だったような・・・。

 

政治判断するうえで悲観的な固定概念や余計な先入観は、ただただ害悪なものです。惑わされず、自分の基本軸を据えて、まっすぐ進まなければ。

 

ちなみに、上の解答は「ドクタースミスは妻」だということです。

ドクターということで、男性と想定しまいがちですね、という心理学ジョークです。

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