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憲法と宗教と道州制

1月25日 18時30分~ 「憲法と宗教と道州制」

 この日も一通り仕事を終え、いつもの若手議員などのメンバーと梅田で勉強会に参加してきました。講師は、なんと高石市在住の平岡先生でした。以前もお会いしたこともあり、会場では驚きを隠せませんでした(笑)良縁はさらなる縁を呼び寄せるとあります。人との出会いには、いつも驚かされます☆

 さて、勉強会の気付きと置きかえです。

 ○戦後60年大阪を含めた地方は、中央集権体制の影響もあり、衰退し続けている

  →そもそも中央集権体制というのは、全体主義であった太平洋戦争中の遺物に過ぎない。個人主義となり、ニーズが多様化している現代では、中央集権体制がかみ合わず、官僚の画一的・統一的な政策が国民生活との確実な剥離を起こしている。

 ○道州制は、平成の廃藩置県

 →江戸時代、大名に気に入られ、大恩もある西郷隆盛や木戸孝允などは、明治維新をやり遂げた。欧米諸国に対抗する日本を作るためには、手段の一つとしてサムライの権力の分散が必要であった。西郷や木戸は、今まで世話になった大名の権力の分散をおこなったのが、廃藩置県である。恩情に対する裏切りともいえるかも知れない。ただ、それぐらいのことをしなければならないのが道州制であり、改革でもあるといえる。道州制は廃府県置州である。

 ○道州制を考える上での必要不可欠な哲学

 →「人間とは何か」「地域とは何か」を考えながらの道州制でなければ、結局は「誰か」の思い描いた社会で、今とさほど変わらないものになってしまう。その地域に住む人が、地域の特性を活かして、清濁併せ呑むまちづくりができる環境を作るのが道州制である。人の心など、人間として基本的なことを忘れた場合、道州制は紛い物となる。

 まだまだたくさんありますが、主な気付きと置き換えは以上です。宗教というと、私も含めて、偏見をもってしまうのが実情です。先祖崇拝やクリスマスも宗教といえばそうなのでしょうが、今、私の考える宗教は「ヒトの心を考える」ことです。そして、自分に人間としての義務を課すことでもあります。ヒトとしての芯の部分を確認させていただきました。