プロフィール
畑中 政昭
生年月日 | 昭和56年1月15日 |
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血液型 | O型 |
家族 | 妻・長女・次女の4人家族 |
趣味 |
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好きな歌 | THEイナズマ戦隊、ヨルシカ、Mr.Children |
尊敬する偉人 | 坂本龍馬、杉原千畝、太宗 |
好きな言葉 |
安宅正路「仁義ある人間関係」 知行合一「実践重視の教え」 |
スポーツ |
小中学校までは野球を。 たまにスキーに行きたいけど、何年も行けていない。誘ってくれる人、募集中。 |
好きな食べ物 | 小芋の料理、茶碗蒸し、ラーメン |
昭和56年1月 | 高石市生まれ |
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平成 5年3月 | 高石小学校卒業 |
平成 8年3月 | 高南中学校卒業 |
平成11年3月 | 桃山学院高校卒業 |
平成16年3月 | 近畿大学経営学科卒業 |
学生時代、9.11事件を見て「世界を知らなければ」と思い、カンボジアなどを周遊。 現地の意識の高い若者との交流で、自身も含めた「日本の若者」に危機感を覚え、政治に関心をもつ。
高石合併選挙後、未来に責任を持つべき若者が議会に不在であることから、街の行く末を憂い市議選に立候補。現在4期目。
畑中政昭の生い立ち
幼少期
昭和56年1月15日 高石市千代田に生まれる。
両親、祖父母、地域の人たちから愛情たっぷりもらってすくすくと育つ。
祖父に、近所の喫茶店や西友などによく連れて行ってもらっていたと、大きくなってから地域の方々から教えてもらうことも。
少年期
少年野球を習い始めるが、要領が悪く、年下にどんどん追い抜かれ、なかなか試合に出られない日々。それでも諦めず、チームメイトと毎朝6時から早朝練習を続け、なんとか4番バッターでキャプテンを任せられる。
当時、支えてくれた監督、コーチ陣との思い出は、一生の宝物。
青年期
アメリカ同時多発テロ事件を見て「世界を知らなければ」と思い、カンボジアなどを周遊。母国のために人生を生きている現地の若者との交流で、自分が根なし草だと痛感。日本の政治に関心をもち、勉強を始める。
高石市の合併選挙後、未来に責任を持つべき若者が議会に不在であることから、街の行く末を憂い市議選に立候補。現在4期目。
今までの議員活動
1期目
財政健全化・議会改革の旗を掲げて当選するも、なかなか政策を前に進めることができず苦悩の日々。そんななか、友人の議員から林英臣政経塾に誘われ、入塾。政治家として根本から鍛え直す。
塾の学びのなかで、今でも大切にしている言葉は「まわりを変えたいなら、自分を変えよ」
主な略歴
H21 | 林英臣政経塾 入塾 |
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H22 | 副議長 就任 |
2期目
「政治家が活動するのは選挙前だけ」というイメージを払拭するために、全戸ポスティングをスタート。
ビラへの反響から市民と対話する機会が増え、声を政策に転換。
議員定数削減を実現、人口減少対策やシニア層の居場所作り、こども達の遊べる環境作りなどを提案し続ける。
主な略歴
H23 | 監査委員 就任 |
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3期目
高志会、結成。
公立幼稚園の統廃合を延期させる修正案を可決させ、幼稚園保育料の値上げを据え置きするよう議員提案し可決するものの、市長再議により否決に転じるなど、是々非々のスタンスを貫く。
主な略歴
H29 | 議長 就任 |
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H30 | 高石商工会議所青年部35周年推進室室長 |
4期目
高志会、5名の最大会派へ。
新型コロナウイルスの対応が後手にならないよう、いち早く、地域経済活性化のクーポン券の配布や療養患者への配食サービスなど、緊急提言書を提出。
他に、更なる議員定数削減やこども医療費拡充の実現など。
主な略歴
H31 | 関西若手議員の会会長 就任 |
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R2 | 全国若手議員の会副会長 就任 |
主な活動
- 広報コンサル会社代表
- 高石商工会議所青年部
- 羽衣子供会やPTA
- こども食堂
- 地域活性化イベント
- センミラ会議