平成25年の林塾が始動
新しい塾生を迎えての林英臣政経塾第8期が1月23日、スタートしました。
塾を卒業し人生をかけて国と地域を改新する誓いをたてた者を塾士と、入塾し林先生の学びを深めている者を塾生と呼びます。
私は第4期卒塾生として現在は塾士、東北・関東・関西・中四国・九州の各講座の関西講座長を仰せつかっております。
講座の内容は、塾士同士での政策研修、現地視察など多岐にわたるのですが、改めて感じたのは、林塾長から「君たち塾士も卒塾をしてからも厳しい修養を積むように」との思いが講義に込められておりました。
ややもすれば、卒業や修了を果たすとその時に学んでいたときの心構え、覚悟を忘れがちになる傾向が人間にはあると思います。厳しい練習ばかりだった野球部を終えたあとOBで後輩指導をするときや、資格入手の為に勉強をしていたときにストイックな気持ちなど、「合格」や「卒部」などの節目を迎えた後はどうしても気がゆるんでしまうことはないでしょうか。
本塾では、そんなことが「当たり前」に許されず、塾士になった時からが本当の覚悟の要るところであるという自己への厳しさが求められる場です。
そんな当たり前のことを塾長に求められた自分への反省と、改めて刺戟を感じさせられた1月例会でした。
褌をしめ直し、高みを目指して成長を続けたいと思います。
最後に、講座にあった講孟箚記のなかでイチバン好きな一節を。
少年軽鋭(ケイエイ)鬱蒼喜ぶべき者甚だ衆(オホ)し。然(シカ)れども艱難困苦(カンナンコンク)を経(フ)るに従ひ、英気頽廃(タイハイ)して一俗物となる者少なからず。唯真の志士は、此の処に於て愈々(イヨイヨ)激昂して、遂(ツヒ)に才を成すなり。 吉田松陰「講孟箚記(コウモウサッキ)」 訳). 若者は軽やか、活発であり、その将来への可能性の豊かさがある。しかし、苦労を経験するにしたがい、才能は衰亡して俗物となる者が少なくない。ただ、真の志士は苦労を経験する際に、気持ちが高ぶり、ついには才を成す。 |