畑中政昭公式webサイト

2014年、冬、沖縄

「先人に感謝を忘れず・・・」

政治家がよく言うこの言葉を口先だけではなく、行動でしめしたい。

そんな思いで、沖縄にご遺骨の収集作業にいってきました。

 

大東亜戦争の激戦地となった沖縄県。

住民と日米両軍合わせて約20万人が犠牲となり、そのご遺骨はいまだに埋まったまま。

「オレの骨を拾ってくれ」と散っていった彼らの願いはかなえられず、道路や住宅の下敷きになっています。

そんな戦没者のご遺骨を60年以上収集されている国吉勇さんに、今回お世話になり、遺骨収集の指南をして下さいました。

また、国吉さんとともに活動され、遺留品の返還活動もされているベテランの浜田さん夫妻にもお世話になりながら、作業が始まりました。
(写真左から、行田市議:柿沼さん、国吉さん、私、浜田さん)

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遺骨を収集するといっても、掘ったら出てくるような場所が用意されているわけではありません。

防空壕跡には、よく不法投棄がされているようで、ゴミをかき分けながら発掘現場まで進みます。ホント罰当たりですね。

現場にたどり着いても、埋まってある土砂をかき分けて作業しやすいように整備しなければなりません。

 

今日は、明日以降の掘り起しのための作業路を確保すること。

なので、ご遺骨を収集できるフィールドを整えるのがわれわれの任務でした。

重機をもってこなければならないような大量の土砂をスコップ持ちながら数人でかき出します。

高温多湿のなか大量の汗とパラパラ降ってくる雨と闘いながら、この重労働を粛々とこなしていきます。

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さすが沖縄、土を掘るだけでも本州とは違います。

ニービと呼ばれる粘土鉱物(これが手ごわかった)、毒性のある根っこ(食べたら即死らしい)など。

 

何とか掘り進み、豪のなかの作業に移ってまもなくすると、

浜田さんが「畑中くん、ここに何かあるから掘ってみたら?」と言って下さったので、

手で土をかき出してみると、なんと当時の中身の入っている薬品の瓶がでてきました。

 

実は、中身の入っているような状態での薬品は約60年の収集人生でも初めてのようで、

チーム一同、大はしゃぎ!(^^)!

「畑中くん、すごいよ!」と手柄を譲って下さって、遺骨収集の遣り甲斐を教えてくださった浜田さんに心から感謝です。

けっきょく、遺骨はでてきませんでしたが、若手議員仲間が明日以降も続々と沖縄入りをします。

彼らにしっかりとバトンを渡せたと思います。

 

不謹慎かもしれませんが、政治の話から冗談話まで和気藹々と作業を進める事ができて、ほんとうに充実した沖縄滞在でした。

国吉さんや浜田さんと出会えたことも財産となり、また機会があれば再チャレンジし、今度こそ一柱でも多くのご遺骨をお迎えしたいと思います。

同時に、

国が赤紙一枚で「戦争に行って来い」と言われ、

青春も謳歌できずに散っていった彼らの遺骨にたいし、

不法投棄や道路の下敷きになったままで、

それに何ら対策も打てない国に激しい怒りも覚えました。

でも、議員だけが闘ってるわけではなくて、国吉さんや浜田さんのように、

人生をかけて闘っている仲間もいるということと、

そんな方々と出会えたことに素直に喜び、旅を締めくくりたいと思います。

 

 

いろんな街を歩き いろんな人と出会う

これからだってそれはそうなんだけど 

そして今想うことは たったひとつ想うことは

あぁ いつかまたこの街でうたいたい

あぁ きっとまたあの街でもうたいたい

あぁ そして君にこの歌をきかせたい