最終日。
最終日。
今日の「書くべきこと」は多過ぎて、とても1つにまとめれそうにありません。
林先生が来てくれたこと、ラストの演説までスタッフと一緒にいれたこと、胸を張って選挙活動をし続けたこと、妻と子供の前で初めて演説できたこと・・・など。
本当にこの1週間はお騒がせをしました。
1人でも多くの人に「あるべき選挙の姿」を伝えたくて、100か所以上で演説をしました。
一件の苦情もないどころか、
未成年の若者から「自分が選挙に行くまでにまちのことを勉強しときます」と言われたり、
お年寄りの方から「あなたの活躍をもっと見届けたい」と言われたり、
たくさんのお声で歩みを止めることなく、自分の掲げる「あるべき選挙の姿」で闘い続けることができました。
今回は、一言でいうと「効率の悪い選挙」
政治への信頼がなくなってしまったのは、当選することだけを目的とした効率性重視の選挙になっているからだと私は確信しています。
「お願いします」と媚びへつらうおねだりをしたり、
「厳しい選挙、何卒助けてください」と同情を誘ったり、
票が欲しいがための甘い囁きである「ばら撒き」を公約に掲げたり、
その後は財源がないので、できませんでしたと言い訳したり、
選挙が近づくと「4年間頑張ってきましたアピール」を急に始めたり・・・
こういったひとつひとつは当選目的を果たすために必要以上に効率性を高め過ぎた結果によるものなんです。
当選ということだけに効率を高めると、「まちをよくする」という本来の目的が薄れます。
本来は、そこにこそ効率性を求めなくてはならないのに。
私はできるだけ「まちをよくする」ことを目的に変えて、そのためにはどういう選挙をしなければならないかを模索しました。
おねだり選挙を否定する。甘い言葉ではなく厳しい現実も話す。名前とお願いの連呼をやめる。理想の選挙像を啓蒙する。至る所で演説をする。自分の声を伝える機会を増やす。ビジョンや政策を示す。共感しれくれる仲間を増やしていく。選挙ポスターなどで思いを確り伝える。選挙が始まるまでに哲学や考えをひたすらに広報する。もちろん、言葉だけではなく行動で示す。
試行のすえ辿り着いたこれらの手法は従来の選挙のやり方とは違うものでした。
従来の選挙手法は「やっぱり当選目的のための効率性を高めたもの」だったと改めて確認できました。
「まちをよくする」には政治家への信頼を取り戻すことが不可欠。
そのために、おねだりしたり、媚びへつらったり、名前と顔だけを売ったりする「当選するのに効率のいい従来の選挙手法」から抜け出さねばならないことは明白。
そのために「当選するためだけの効率性」から脱却をし、「まちをよくすることが目的」の選挙を展開しました。
市民のみなさんにどれだけ届いたのかは分かりかねますが、正々堂々と闘えたという感触が確かに残っています。
もはや悔いなし。
今日の今日まで本当に有難うございました。