場所文化フォーラム@高野山
昨日の場所文化フォーラムは、とっても有意義でした。
宗教×大学×省庁×経営者×モデルといった様々な角度からの環境保全へのアプローチは、どれも出発点が違っているけれど、どれも希求するものは同じ方向性。「かつては共生し得ていたもの」として自然環境を見つめ直さないといけません。
しかし、多くの「日本人」は目先の利益を選んでしまい、その向こう側にある選ばれなかった公益を意識することが苦手になっているようです。
「安さ」だけで選ばれてきた商品は、それを作り出すのに、命と隣り合わせの工場で働かされ、公害を撒き散らし、日本のブラック企業なんて比較にならにほどの劣悪な環境により生み出された結晶であることが多いです。
全てを買うな、というのは難しいけれど、意識をし、想像をし、僅かでも消費行動に置き換えることは可能なはず。
国際社会から高い評価を受けていたかつての美しい日本人は、いま、国際社会から低い評価を受けようとしています。
私もいま一度、自分の身に置き換えて、生活への置き換え、政策への転化を考える必要性に駆られました。
ワークショップも大変有意義でした。
自然を「資本」として捉え、いかに定量化していくかを環境省の方々と議論させていただき、空っぽの脳みそに理論がギュンギュン入ってきました。
特に「あらゆる資本は自然が基になっており、自然が資本として認識されないのは画竜点睛を欠いているようなもの」という考察は非常に頷けました
自然と向き合いながら集落が作られ、そこで採れた作物で生計が立てられ、そして経済活動がおこなわれてきたわけです。
自然を視覚的な感動のみで捉えるのではなく、なければならないものとして、その恵沢を守らねばなりません。
懇親会も流域食が使われ、学生食堂で高野山の地物が振舞われました。
このシラスとキュウリが格別でした⭐️