全国若手議員の会 総会&研修
先週末は、東京で全国若手議員の会の総会・研修会でした。
研修会の講師は、何度か高石にも足を運んでいただいている逢坂誠二衆議院議員。話も巧く、理論も整理されていて、国会議員には珍しく聞き応えのある講演をしてくれました。
以下、内容です。
1. 目的意識のない議員は辞めるべき
若手議員を目の前にして、「みなさん、目的はありますか?無いなら、すぐお辞め下さい。」と、開口一番、刺戟を与えてもらいました。
いや、当然のことなんです。
この前のブログにも書きましたが、「議員になることが目的の議員」が余りにも多く、ましてや、若手議員のなかにも増えてきているのが実情です。
そして、まちづくりにも理念や目的がないから失敗例が多い、というコト。
現在のまちづくりをするうえで行政がしてしまっている失敗は、「近視眼的、かつ目先の課題に追われ過ぎている」ことです。高石市も同じように。
そういった目先の課題解決も大切なんですが、将来を展望し、どのような理念をもって、どのような哲学を埋め込んで、縦の軸をしっかりと通したまちづくりが求められています。でないと、ブレます。
これを町長時代の経験則から語られる逢坂議員の講話は、非常に地に足着いた理論で、納得できるモノでした。
2. 原子力の問題
想定されていた事以外の事態が発生したが、以前から警鐘を鳴らしていた学者はいた。原子力というものは、理論上は、人間が利用可能になるエネルギーだが、これから莫大な時間が必要となる。
最終処理もできていないような状態で、このまま原発を政策的に進めるのはあまりに暴力的。
また、代替エネルギーも確立できていないのに、すぐさま原発を止めるのも、それも暴力的。
国民的議論が必要。地域の実態を把握して、国家レベルで大きな方針をたてるべき。
とのこと。
段階的に脱原発は進めていくべきであるが、短絡的な「原発=悪」という論は、あまりに飛躍された結果に陥る危険性があります。
原発の何がいけなくて、何が安全なのか。
どういう総括をして、未来に対してツケの残さないエネルギー政策を引き継ぐのか。
特に、完璧安全主義ともいえる福嶋みずほ症候群が蔓延しつつあるなか、十把一絡げに問題解決を行うのではなく、しっかりと善悪を精査したうえで取り組んでいくべきです。
ヒステリックにならず、誠実に。
3. そもそも政治とは?
政治とは、社会で合理的解答のない領域を扱う分野。
だから100%の賛成は得られない。
だから批判されがちなもの。
私も政治とは何か。を考えるときに、「そもそも政治が必要かどうか」という掘り下げを行い、ゼロベースで考察します。
その考察の経緯のなかで、市場や社会が手を伸ばさない領域を政治が補完すべき領域なんだ、と考えています。
そうすると、政治の役割は二つに分かれます。
一つは、必ず存在しなければならない政治。
一つは、民の社会性・利便性を向上させる政治。
前者は、生活保護などの最低限の福祉や警察、国防などの治安分野
後者は、道路敷設や子育て支援など
この優先順位はもちろん前者です。前者を怠って後者を優先するならば、それは悪政ということであると判を押します。
この政治哲学の背骨がなければ、政治家としてブレます。
改めて、自分の背骨である政治哲学と向き合いました。
4. そもそも民主主義とは?
民主主義とは単なる多数決による決定ではなく、政策決定に至るまでの形成段階において多角的な意見を盛り込んで、決定していくことにある。
おそらく自治体としての民主主義の「使い方」がそうなんだと思います。
私は少し違って、
日本の民主主義は、どこかの知らない誰かにコントロールされており、自分たちは民主主義なんだと盲目的に満足させられている高度な共産主義的な構造にあると思っています。
この考察を話せば長くなるので、また改めてアップしたいと思います。
この意識を変えていくには、ボトムアップしかありません。
少数派の意見を衆知として止揚させ、住民意識から変えていくことでしか可能性を見いだせていません。
それほど、難しい壁だと思っています。
何でもそうですが、上だけ変えても何も変わりません。
下から引っ繰り返すぐらいのことをしなければ。
5. 国を変えるのは地方から。
最後に有難いことを仰ってくれました。
国の礎は地方。
地方が元気がでなければ、国も元気がなくなる。
そのなかに、理念と目的意識をもって取り組んで欲しい。
「言われなくても」というぐらい我々が責任と覚悟を持っていなければならないものを、衆議院の方から鼓舞されたのは嬉しかったことです。
非常に勉強になりました。
だけではなく、理論もエネルギーも肥えさせてもらった時間でした。