予算の賛否というものから・・・
南海高師浜線を存続させるという目的から“ブランド戦略”というものが生み出されました。私が考える「高石市の人口を増やすために良質なイメージを発信し、同時に市民サービスも整えていくことを目的としたブランド戦略」とは全く違いますが、高石市の定義するブランド戦略とは「高師浜線を存続させるための戦略」だということです。高師浜線の存続に向けて高石市は色々な策を考えだしました。共同バスターミナルや伽羅橋駅の活性化・・・これらを「6つの柱」として進めていく関連の予算が平成25年度予算の主な項目となり、予算委員会ではこの項目について議論が集中しました。それこそ市長に近い議員、遠い議員関わらず、激論が交わされました。この6つの柱については後日、詳しく書かせていただきます。
さて、もちろん、採決が分かれました。
以前に、高志会のチラシで書かせていただきましたが、予算というものは賛成・反対という意思の向こう側に導かれる結果に責任をもたなければなりません。
反対としたならば、予算が否決されることが反対する上での成果物なのですから、市長の政策的予算が執行されず、2~3ヶ月は暫定予算が組まれて、その間、例年継続されてきた市民サービスは停滞し、予定していた契約もできなくなり・・・というリスクを抱えなければなりません。つまり、「この項目は賛成でやって欲しいけど、これとこれが嫌だから反対」という理屈は通じないということです。
逆に賛成としたならば、「これが嫌だから予算執行しないで」と甘えることはできません。万が一、議会が行う予算執行で将来に大きなツケを回してしまう結果がでたとしたならば「なぜ、あの時議会は止めなかったんだ」という責任を負わなければなりません。予算執行されるリスクを抱え、その行く先を注視しなければなりません、場合によっては軌道修正をかけていくことも求められます。「この項目は反対で、留まるように議場で言ったんだけど、総論は賛成だから」という言い訳は通じません。賛成に手を挙げたんなら、自分の納得のいかない予算執行にも責任を負うべきなのです。
反対して予算執行されないデメリットか、賛成して予算執行されてしまうデメリットかを選択しなければなりません。それが嫌なら退席したらいいのです。
予算には項目ごとの賛否が問われません(それがあればホントに助かるのですが・・・)。つまり、100 or 0で、予算執行においては付帯決議も議員の権限外とされています。
今回、三セク債の発行や中学校給食などの項目も予算計上されておりましたので、予算案に賛成をしましたが、過去を振り返ってみても、これほど悩まされた賛成はありませんでした。上記にある高師浜線の存続で、「これはアカンやろ」という項目がいくつか存在していたからです。(詳しくは後日のブログにて)
しかし、賛成をする以上は私の責任です。「アカン」と思う項目の予算執行を「納得できる」形に持っていくのも賛成をした議員の義務です。
「賛成=市長とグル、反対=市長の足を引っ張っている」という短絡的な構図をよく聞きますが、議員はそんな記号的な物差しで仕事しているわけじゃないということも知っておいてほしいのです。賛成する議員も反対する議員も、両方とも思い決断のうえ判断をしているということを知って欲しいと思います。