地方政治はイタリア料理的であるべきです。
イタリア料理とフランス料理の違いについて。
イタリア料理とは、パスタ?素材?オイル?
フランス料理とは、フォン?ソース?バター?
色んな見方がありますが
イタリア料理の歴史は古代ローマ帝国まで遡ります。
鮮度を保ったまま輸送する技術なんてなかったので、
現地の食材をそのまま活かせる料理が根付いていったようです。
地中海付近では、魚介を中心に。北部では、乳製品を中心に。
といった具合に、地産池消の原理ともいえるような形で発展していったのがイタリア料理でした。
一方のフランス料理は、その起源はイタリア料理から生まれたものです。
ルネサンス期にイタリアからフランスに嫁いできたお姫様が、
実家から専属料理人を連れてきてイタリア料理をフランスに広めていきました。
フランスは中央集権国家だったので、どんどん地方の食材を集め、
美味しい料理を開発していきました。
こうやって見ると、
イタリア料理は、地域の特性を引き出した料理。
フランス料理は、あらゆる食材を集積させた料理。
と、私は分けています。
さて、ここまで長々とウンチクを書いている理由はというと、
私は、高石の政治はイタリア料理でなければならないと考えています。
高石でしかできない事、高石ではできない事、高石でもできる事。
これらをちゃんと判断し、身の丈に合った地方政治をやらねばなりません。
「武雄市みたいな図書館がいい」とか
「関東圏のような医療助成がいい」とか
「阪急沿線のようなオシャレな街がいい」とか。
それ、ぜんぶ高石でできますか?
いいえ、ムリです。
高石で出来ることは何か?
ということを突き詰めて考えた私のビジョンは、
「良質な文教都市」なんです。
生活保護率も低い、平均所得も高い、暴力団事務所及びそれに類するものはない、スラムのような地域もない、犯罪率も低い、駅多い、私立の学校も多い、など。
高石市で良質な教育を受けることのできる環境を整備することこそが、イタリア料理の歴史から学んだ私なりの解答です。
そして、これからの地方政治はこの概念を外しては存続なんてできないでしょう。
そして、フランス料理的ともいえる「ヒト・モノ・カネ」が集積している東京一極集中を解消する。
これが日本の将来を考えたうえで、都会と田舎が生きていける抽象的概念です。
率先垂範として、
外に食材の調達に行かずに、畑中家の冷蔵庫に牛乳とツナとシメジがあったので、イタリア料理的にいつものイタリア料理で昼食(^ω^)
なにも「フランス料理けしからん!」と主張しているわけではございませんので、誤解なきよう・・・。